ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

初めてのお泊まり

 あかりをつけましょぼんぼりに、の歌を、最近ニコちゃんがよく歌う。保育園で歌うからだと思われる。今日もYouTubeで歌の動画を再生して、一緒に歌っていた。その様子が、とても可愛い。床に座って、一生懸命YouTubeをテレビで見ながら、お利口さんに真面目な顔をして歌う。私は床に寝転がりながら、下から右斜め45度のニコちゃんの陶器みたいにスベスベの白い肌に、見惚れる。手前味噌みたいだけど、親バカだけど、本当に美少女だなぁ、と思う。

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 先日、姉と従姉妹とひな祭りパーティーをした。夫と手巻き寿司の材料を買って、姉の家にお邪魔した。前の日の晩に、実家で晩ご飯を食べてお風呂に入った後、ニコちゃんは姉の家にお邪魔して、泊まらせてもらった。3つ上の姪っ子と、同い年の姪っ子をママより好きらしく、少し考えたけれどノリノリで泊まりに行ってくれた。下の子が産まれる時の予行練習としてニコちゃんが行きたがるなら、と行かせた。夫が帰って来てニコちゃんが居ない寂しさに号泣した。

 ニコちゃんは「ママ」と一言も言わずに、2人の姪と一緒に並んで寝てくれたそう。姉からは3人が1冊の絵本を一緒に読んでいる動画が送られて来た。6歳の姪が、彼女の妹とニコちゃんに絵本を読み聞かせている姿は、とても微笑ましく、ニコちゃんの成長を感じて嬉しかった。それと同時に寂しくて切なかった。

 スマホを何度も確認した。ニコちゃんが「やっぱりママがいい。」と泣いて帰って来るのを正直待った。けれども連絡は遅くまで無くて、夫にお菓子を分けてもらって泣き止んで諦めた。ニコちゃんの成長を喜びたいのに寂しさが勝つ自分が恥ずかしい。ニコちゃんが居なくて、私はニコちゃんのことが大好きなのだと改めて思い知った。

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 久しぶりに会ったニコちゃんは、知らないおじさんとおばさんを見るような目をして、一瞬私達を見て、すぐに目を逸らした。その後子ども同士のトラブルで泣いていても、「抱っこしたろ。」と言っても、抱っこを拒否された。「3つ上の姪っ子ちゃんがいい。」と、触らしてもくれないのがショックだった。けれども「姪っ子のところまで抱っこして。」と言ってくれたので久しぶりに抱っこ出来た。嬉しかった。

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 姉はナチュラルに人に優しくできる。入院する私とニコちゃんを気遣って、ニコちゃんを預かることを自ら申し出てくれる。練習までしてくれる。無理をせずに、バランスよく人に尽くすことが出来る。私は自分の限度を理解せずに、いつも自滅するので、実際に行動できる、そしてやり遂げる姉が凄いと思う。たくさん助けられている。

 それなのに、姉に見られることはないだろうとタカを括って、全世界に向けて姉への愚痴を垂れ流した私はとんでもない愚妹だ。同じことは母と祖母に対しても言える。ごめんなさい。面と向かって言えない言葉を、こっそり吐き出して楽になる。感謝も好意も尊敬も、きちんと伝えたことは無いくせに。

 いいことだけ言っていたい。傷つけるようなことは言いたくない。けれどマイナスの感情も私で、プラスのことだけ表現していても胡散臭い。けれどディスられるばかりでは気が滅入る。客観的に自分を俯瞰して人を傷つけることのない少し面白いことを言うのって難しい。自分に向けられるベクトルが無いと興味を持てなくて、相手主体で考えることが少ない幼稚な人間性が私で、それをバレないように取り繕うのに必死。

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 自分を良く見せようするのは止めようと思うけれどオシャレはしないと怒られる。作り笑いは良くないと思いながらも、真顔でボーッとしているとニコちゃんから「何変な顔してんの。」と不安がられる。人間らしく、浮かないように、周りと合わせるだけで必死なのに、周りより優れた人間になるだなんて無謀な話。「普通」にするのが一番難しい。思うように振る舞えたらいいのに。自分勝手でい続けられたらいいのに。

 でも同じくらいニコちゃんに幸せでいて欲しい気持ちも、夫や姉や母や祖母に思うままに振る舞って欲しい気持ちもある。私が我慢すれば済む話だ、と思うのだけれど、私の我慢は長く続かなくて困る。ニコちゃんのワガママと、私のワガママと、バランスよく調整しながら叶えていきたい。

 ニコちゃんは優しくて強い子で、ママはいつも救われて助けられてて感謝している。メンタルも意志も弱くて泣いてばかりでごめんね。ニコちゃんが安心して甘えられる強いママになれるよう、頑張るね。

姉は全然考えない

 私の姉は物事を深く考えない。大勢の人がそうだと思うのだけれど、人のことより、自分のことを自然に優先する。私に無いものを持つ姉が羨ましい。同時に時々腹立たしい。

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 私は自分のことを優先する時に、何故か罪悪感を持つ。夫や子供が食べていないのに、私だけ食べてもいいだろうか、とか、自分のものにお金をかけてはいけない、とか。けれどもそんな罪悪感は、日常を頑張る糧になるもので、持たなくてはいけないものなのだと最近は意識して自分を大切にするようにしている。

 姉は子供のころから自分のオムライスに入ったグリーンピースを私の皿に平然と入れ、自分の方が近い扉を遠い私に閉めろと命令する人だった。上のきょうだいって大体そうだと夫には言われるけど、私が上の立場だったら、もっと下に優しくするのに、と密かに思っていた。実際上の立場になっていないので、口ばっかりだけど。

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 髪を染めていると、時計が見たいからと平然と頭を振る姉。染料が、付いてはいけないところに付く。「何すんの。」と抗議しても、「時間が気になったから。」と悪びれもせずに言う。相手のことよりも、自分のことを無意識に優先してしまう人なんだろう。

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 けれども、姉のことを優しい人だと思う。祖父や祖母のお葬式では自然に涙を流して、友達のために自然に何かをしてあげて、家族の誕生日は忘れない。私が出来ないことを、平然とやってのける姉を尊敬している。その一方で、コンプレックスと憤りを抱える。

 夫は、私のことを優しいと言ってくれる。慰めかも知れないけれど、とても嬉しい。足りないものだらけの私だけど、私以外から見ると、足りるものも、もしかしたらあるのかも知れない。足りないものに打ちのめされてばかりなので、一緒にいる人には足りるものを教えてもらえると嬉しい。

 そんな甘えたことを言って怒られるかも知れないけれど、甘えることも大事。と言いながら、中々夫や子供には甘えさせてあげられないけれど。沢山たくさん甘えさせてあげよう。家にいる時くらい甘えたらいいよ。外でしっかり頑張ってね。

子供が怖かった話

 こんにちは。まだ二月なのに、痛いくらいの強い日差しと春のような陽気を、ウッドデッキで一人こっそり日光浴をしながら満喫しています。目隠しのフェンスはあるけれど、お隣さんの二階からとか見えそう。

 どうも、変な人です。

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 私が変なのは昔から友人らに言われて来たのですが、私のことを変じゃないと言う夫も変な人なんじゃないかと思います。いや、夫から頭おかしいとは言われるんですけど。じゃあ、夫はまとも?いや、やっぱり私と一緒にいれるのは変わってるような気がします。

 とにもかくにも、有難いことに嫁にもらって頂け、一人の子宝(五月には二人になる予定)にも恵まれたのですが、実は子供を作ることが怖かったです。

 理由は、二つありました。経済的な不安と、精神的な不安(どちらかと言うと精神面での心配が大きかったです)。自分で自分を過小評価していて(実際至らぬ点が多々多々あるのですが)、こんな私に子供が育てられるのか、子供を幸せにできるのか、子供に好いてもらえるのか、不安でいっぱいでした。

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 小学校の時に人生設計をさせられ、その時には母親の影響なのか、日本の社会科教育の賜物なのか、仕事をすること、結婚すること、子供を産むこと、が25歳で全て達成予定でした。

 (実際に結婚したのは26歳、子供を産んだのは28歳、仕事には恵まれず、職を転々としていました。当たり前とか普通のことって、案外難しい。)

 自分の意思なのか、他の人や組織からのマインドコントロールなのか、とにかく結婚と子供を産むことに憧れていたのは事実です。けれども、実際に産める状態になると、途端に怖気づきました。

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 今だから分かるのですが、私の精神年齢は3歳児のそれと同じくらいです。ニコちゃんが自分を見て欲しいとまとわりつく姿が、私の内心と重なります。自分で自分を褒めてあげることが出来なくて、承認してもらうことを常に求めて待っている、恥ずかしながらそれが私です。そんな私が、大人を演じて、立派に子育てをやり遂げられるのか。

 けれども、同時に、夫の遺伝子を残したい、夫との子供を育てたい思いも強く、妊活に踏み切りました。幸いにも身体的に問題は無く、望むとすぐにニコちゃんがお腹にやって来てくれました。

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 吹けば消えてしまいそうな、お腹の中の小さな命を守る責務に駆り立てられ、ニコちゃんを妊娠中は四六時中気を張っていました。安定期に入るまでの妊娠初期の化学流産に怯え、臍の緒が首に巻きついて亡くなった話に怯え、マタニティライフは手放しに楽しいとは言えませんでした。

 ニコちゃんが産まれた時も、会えた喜びよりも、この世に送り出せた安心感の方が大きく、普段は泣き虫なのに涙も出ない自分に落胆しました。けれども今思えば、必要以上に責任を感じすぎていただけだろうと思います。ついこの間の母親教室で、産んだ後は放心する母親が多いと聞いて安心しました。

 ニコちゃんを触る前は石鹸とアルコールで徹底的に除菌をして、そのせいで皮膚科に通わなければならないほどの酷い手荒れになりました。母乳が少ないのではないかとおっぱい教室に行き、友達を作ってあげなければと地域の子育て支援やコミュニティや公園に通い、初対面の人にも愛想よく話しかけ、又は話しかけられ、自分の向き不向きも顧みずに、ネットや本や友達らの話を鵜呑みにして、訳も分からず頑張りました。

 時には何もする気力が起きなくて、涙が止まらなくて、子供にいつも優しく出来なくて、そんな自分が嫌で。孤独な訳がないのに、孤独を感じる時もありました。私じゃなかったら、もっといい育児が出来ていただろうな、と、ニコちゃんに対して申し訳なく思った日も少なくありませんでした。

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 いつから育児が楽しくなったのか、手放しでニコちゃんを好きだと思えるようになったのか、記憶は定かではないのですが、ニコちゃんが話せるようになって、「好き」と言葉と態度で伝えてくれるようになったことは大きいかなと思います。

 駆け引きも打算も恐らくまだ知らない小さな子が、覚えたての「好き」や「愛してる」を、惜しげもなく言葉のシャワーのように私に浴びさせてくれて、いつしか私もニコちゃんは私のことを好きなんだと信じられるようになりました。

 極め付けは「ママに会うために生まれて来た」という言葉。この子は本当に私のことが大好きなんだな、命をかけて私を愛してくれているんだな、と自然と思えました。以前感じていた、逃げたくても逃げられないずっしりと重い責任感ではなく、自ら望んで「応えたい」と思うようになりました。

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 今も妊娠中ですが、ニコちゃんの時ほど不安になったり、焦ったりする事はなくて、それはニコちゃんを育てさせてもらったお陰だなぁと思うのです。まだ無事に産まれていないから、どうなるかは分からないけれど、(恐らく)姉妹仲良く育ってくれたらなぁ、と望むばかりです。

 子供は怖くなくなりました。ニコちゃんが至らぬ私でも包み込んで愛してくれたお陰です。今度は私がニコちゃんとお腹の子を包み込んで愛してあげれたらな、と思います。

 昨日は初めて(?)ぐずらずにママがお風呂に入ってなくてもパパと二人だけで寝に行けました。パチパチパチ。パパと泡風呂をしたお陰かな。めちゃくちゃ楽しかったようです。今度は泡風呂用の入浴剤を買って置いておこう。それとも、ママとしまじろうの工作の鳥を作った効果なのかな。たくさん遊んだお陰なのか、嫌がることなく保育園に行ってくれて、助かった。楽しい思い出を沢山作れたらいいな。

寝ることよりも好きなこと

 おはようございます。夫と子供が出て、短い一人の時間。かかりつけの産婦人科クリニックに電話をして無事後期母親教室の予約が取れました。明日。ギリギリの行動…。二人目だし、と思って、色んなことを一人目に比べてしてないです。ごめんね。

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 今朝、ニコちゃんを起こす時に、(ニコちゃんは夜型で、朝中々起きないのですが、)「抱っこしたげるよ。」と言うと、両手を広げて、私の頭をギュッと抱きしめてくれる。可愛い。抱きかかえると、私の胴体にギュッとしがみ付く。可愛い。

 睡眠欲って、人間の三大欲求だけど、くっついていたい欲も、三大欲求に負けないくらい強いのかも知れない。もしくはママのことが大好きすぎるのかも知れない。可愛い。

 人生でこんなにも人に好かれたことは、物心ついたころから生まれて初めてレベルなので(って夫に言うと怒られそうですが)、生きてて良かったなぁ、と思います。

 ニコちゃんに「ママに会うために生まれて来た!」と言われたのが嬉しすぎて、こないだ夜寝る前に「ニコちゃん何するために生まれてきたん?」と聞いてしまいました。最初はキョトンとしてたけど、「誰に会うために生まれてきたん?」と聞くと、「ママに会うため!」と嬉しそうに答えてくれました。誘導尋問です。

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 「レストランの開会式」というタイトルのブログ記事を読みました。(はてなブログさんの人気ブロガーさんのブログ記事です。)そうか、私が求めていたのはそういうものなんだ、とストンと腑に落ちる気分になりました。面白かったです。ご興味あれば、是非に。では。

ニコちゃんが一番されて嫌なこと

 朝からキッチン前と吊り戸棚の収納を整える。ニコちゃんとパパは9時ごろ起きて来る。ハウス直売のイチゴが買いたくて、お出かけを提案する。あとニコちゃんの凧もパパは一緒にしてなかったので、途中の公園で。

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 公園はすごい人出だった。家族連ればかり。公園はファミリーに優しい。タダで駐車場もあって子供が喜ぶ。凧とシャボン玉に、パパも夢中に。ママはシャボン玉製造機。妊婦だから。妊婦だけど1ヶ月で2キロも太って運動しなさいと怒られたので、歩く。回る。

 食堂で各々好きなものを取って食べる。ニコちゃんは煮込みハンバーグとコロッケ、パパは肉豆腐と大根、ママはサバの味噌煮と豚汁と中華サラダ。パパがニコちゃんのうんちを連れて行ってくれる。

 食べ終わってイチゴを見に行くと売り切れ。ショック。失意のまま家具屋さんに。ローテーブルを探すも、ダイニングテーブルに目移りしてパパに怒られる。以前も接客してくれた店員さんが、高いものばかり勧めるので、怖くなって退散。ローテーブルに15万は出せねぇ。

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 疲れ果てて帰宅して、すぐにでもニコちゃんを寝かしたいところだけれど、「ユーチューブいっこだけ見る」のワガママを聞き入れて、ママもスマホタイム。一つが終わるともう一つ自動再生が始まって、「これだけ見たら」と追加のワガママ。バトル勃発。

 「約束破るの?」だんまりを決め込むニコちゃん。「約束破るんやったらママも約束破るよ。優しくするって約束してたけど、優しくしないよ。それでも良かったらユーチューブ見い。」

 そこからは何を言っても「いや!」を連発するニコちゃん。動かなくなったニコちゃんの横を通り抜けて、洗濯物を取り入れようとすると、ワンピースの裾を掴まれる。「何?」冷たく言い放って、落ちている洗濯物を拾っていると、後ろから泣き声。

 「冷たくされてもいいんやろ?ユーチューブ見れば?」更に追い討ち。大きな声を出しながら、涙を流すニコちゃん。その姿を見て、私も涙が出る。やりすぎたかな。

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 しつけなのか、虐待なのか。時々分からなくなる。教育なのか、脅しなのか。プラスになるのか、マイナスにしかならないのか。正しいのか、正しくないのか。

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 「なんで泣いてるの?」パパが聞いても答えない。「泣けば優しくしてもらえると思ってる。」パパの言うことも正しい。眠くて自制が効かなくて、パパとママに嫌われることが何より怖くて、ワガママを聞き入れてもらうことが愛されていると思うニコちゃんの気持ちも分かる。

 「私はどうすればいいの?」パパに聞く。甘やかすのと甘えさせるのの違いって何?自問自答。どうするのが正解なんだろう。子供が望むことをしてあげるのが子供の幸せなのか、間違いを正すのが親の役目なのか。ママの顔を見ない。「もう怖い顔しないからこっち見て。」涙は中々ひっこまない。

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 ベッドに連れて行くと、数分で眠りについた。「ニコちゃんのこと嫌いじゃないんだよ。大好きだよ。冷たくしてごめんね。」じっと私の顔を見て、私の腕枕に顔をうずめて、規則的な寝息を立て始める。

 不安に思ってないかな。信じられなくなってないかな。例え演技でも、ニコちゃんに冷たくするのは、不安定な私はやっちゃダメだ。私の心臓に悪い。愛してる、と、言葉だけじゃなくて、嫌なことをしないという行動で示さないとダメだ。

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 って、こんなこと言ってたら、約束していたことを忘れてました。ダメダメダメだ…。すみません。ごめんなさい。やってしまった…。なんでだ…。

トゲトゲした気持ち

 姪と姉がとても意地悪な気がして、姪と目を合わせられない。家に帰って子供と二人っきりになって、子供にキツく当たってしまう。進行方向に子供が立っていただけで、イライラしてしまう。

 昨日は殆どイライラすることが無くて、珍しく夜中殆ど目が覚めずに、睡眠時間もたっぷりとった筈なのに。昨日は私にしてはとても珍しい「普通の日」だったのに。母も珍しくまともだったのに。

 今日はダメダメだ。気持ちの整理がつかずに涙が出てくる。「ママなんで怒ってるの?」子供が訊ねる。違うねん、疲れてん。「疲れたん?」「疲れたん。疲れたん。」笑う子に少し救われる。

 子供の手をパチンと閉めるタイプのカバンで挟んでしまう。子供が泣く。泣きたいのはこっちなのに。子供に優しく出来ない。「大丈夫?」って聞いて、「ごめんね。」と抱き締められない。

 そんな自分に腹が立って、階段を上って寝室に逃げ込む。SNS上で、『10分でいいから家出したい、けれど出来ない』と言っていた人を思い出す。考えてはいけないことを考えて、否定して、また考えて、否定する。キャパを超えたんだな、と理解する。回復する為には何をすべきか考える。

 意外なことに、ニコちゃんが直ぐに泣き止んで、階段を上がって来た。ママが倒れ込んでいる、収納付きの少し高いベッド(分厚いマットレスを敷いているので更に高い)をよじ登ろうと頑張って、バイキンマンのぬいぐるみを落として、泣く。私も少し泣いて、ぬいぐるみを拾う。「早くおばあちゃんち行こう。」子供が私の手を引いて、二階から一階に下ろす。

 泣いて横になると、少し楽になった。

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 これは私の悪癖だと思うのだけれど、誰かといると、誰かのために行動しなければと思ってしまう。相手も同じように私のことを考えて行動してくれる人ならば疲れないのだけれど、こちらの気持ちや行動を鑑みない人だと、不快に思ってしまったり、疲れてしまったりする。

 勝手に他人に期待して、見返りを求めてしまう。見返りを貰えなければ、勝手に悲しくなったり、悲しくなるならまだしも、怒ってしまったりする。良くない。良くないのに、無意識にやってしまう、癖みたいなもの。

 相手に期待しない、思ったことを言う、本心を伝える。それらのハードルが高くて、難しい。何となく、惰性で生きてきたのに、自分の出来ないことに向き合わざるを得ない時間が、辛くて、貴重なものだと思う。

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 以前決意して食べ損ねた、マクドのオレオのマックフルーリーでも食べて、自分を甘やかして、また頑張ろうと思います。どすこい!

五分おきに変わる欲求

 お腹の子は、7ヶ月になった。頻繁にお腹が張ったり、少しの動作で息切れしたりしながら、毎日胎動を感じる、大変だけど有難い生活を送らせて貰っている。

 人間にも鳥のように、出産前には、住居を整えようという巣作り本能があるらしい。その影響なのか、片付けが苦手な私も、最近は家を整えようという意識が湧いて来た。けれどやっぱり片付けは苦手で、掃除にばかり逃げている。今日は、五徳掃除と、ポットのクエン酸洗浄と、お風呂の水垢取りに挑戦してみた。五徳掃除、楽しい。お風呂前につい夢中になっていると、ニコちゃんが足にまとわりついてくる。

 「ママ、ユーチューブつけて。」ちょっと待って。ゴシゴシゴシゴシ。「ママ、しまじろうの牛さん切りたい。」しまじろう全部切っちゃったやろ?もう無いねん。「ママ、ミルクティみたいなやつ飲みたい」ほうじ茶ラテ?作ったろ。「ママ、おしっこ!」行こ!

 よくもまぁ、そんなに色々な欲求が次々と湧き上がるものだと感心する。どの欲求が満たされなければ機嫌が悪くなるかは分からない。ルーレットや運のようなもので、眠たかったり、お腹が空いてたりすると、全部が地雷だったりする。地雷を踏んだ時は、こっちも限界だったりで、怒ったり無視してしまったりして、後で後悔する。

 なんで子供の欲求って、誰かが叶えないと叶わないものが多いんだろ。そして、子供に100%応えてあげようとすると、めちゃくちゃ疲れるし、100%応えないと、多かれ少なかれ罪悪感が付き纏う。私は子育てに不向きな性格をしているのかも知れない。いや、逆に向いているのかも知れない。知らんけど。

 以前、隙間時間に親適性診断みたいなものをしてみた。本心のままに回答すると、7項目あるうちの、相手を尊重する気持ちだけが高評価で、他6項目は最低評価だった。もう一度、「こうあるべき」という優等生回答で再挑戦すると、全項目で百点満点が得られた。何というか、クソくらえ。そんなこと、分かりきってんだよ。適性なんて、いい加減なものなのだろう。

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 ニコちゃんは、自立したい気持ちと甘えたい気持ちを行ったり来たりしている。赤ちゃんを楽しみにしてくれている一方で、まだまだ自分だって赤ちゃんのように甘やかされたい気持ちも満たされない。私の目線一つで、言葉一つで、笑顔になったり、泣き喚いたり。

 今日は実家で夕飯を食べる時、祖母がニコちゃんを褒めてくれた。一人で食べれて賢いなぁ。そう、だいぶ一人で食べれるようになって来てん。そんな会話の数分後、ニコちゃんが「ママこっち来て。」「ママのお膝で食べたい。」「ママ食べさして。」祖母が呆れて笑う。

 昨日、「明日パパとお風呂に入る」と約束したニコちゃん。パパは約束通り早く帰って来てくれた。嬉しそうに、お風呂に向かって、長い間出てこないニコちゃんとパパ。呼び出し音で風呂場に向かうと、ニコニコ笑顔のニコちゃん。けれど身体を拭いて、髪を乾かして、歯を磨いて、寝に行こうと言うと、途端に曇り顔。「ママがいい。」「3人がいい。」この調子だと、入院中が心配になる。まあ、なるようになるか。

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 バレンタインに、リンツのチョコレートを50個買った。ホワイトを食べると、めちゃくちゃ甘かった。夫はピーナッツのを食べて、半分齧って、私にも食べるよう勧めてくれた。私は一人で何も聞かずにホワイトを全部食べた。「ごめん」と謝ると、「何ていうか、まあ、器の差?」と言いながら吹き出していた。私も笑った。

 夫の言うことの9割は冗談で、私の言うことの9割は本気だそうで、似ていると思っていたけれど、実は全然違うのかも知れない。

 ちなみにニコちゃんは一人で一個食べて、かつ「ママは食べたらあかん。ニコちゃんとパパで食べる」言うてはりました。最近ちょっと意地悪なってきた気がする。