ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

ミスドで好きなドーナツは?

 歯医者の予約を忘れてしまっていた。予防歯科で通っていて、3ヶ月か4ヶ月に一度なのだけれど、忘れたり遅刻したりすることが多く、また今回も。猛省。あまり予定がなくて、スケジュール帳を作っていないのだけれど、スマホのカレンダーにでも登録すべきだった。すみません…。

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 昨日、夫と子供と近くのイオンモールの中に入っているミスドに、ピエールマルコリーニとのコラボのチョコドーナツを買いに行った。時間限定、数量限定の(私の中で)激レアの幻のドーナツ。販売予定時間を少し過ぎて到着すると、予想の2倍以上の長蛇の列(夫は予想の5倍だったそう)。

 これはもう買えないんじゃないか…。半ば諦めつつ、通路にはみ出した列の最後尾に並ぶこと十数分。途中、夫と子供に欲しいものを買いに行ってもらった後、残りの数を確認しに行ってもらうと、「まだまだ沢山ある。」とのこと。途切れかけた望みが紡がれる…!

 ついに店舗前のいつもの列に差し掛かり、あっという間にドーナツ棚の前へ。ある。沢山ある…!

 一度、平日の3時頃に来た時は、一つたりとも残っていなかったけれど、販売時間の直後であれば、余裕でゲットできそうです。一時間後くらいまで残ってた。むしろ一時間後の方があまり並ばず買えるかも…。

 長い列に並んでいた人の中には、「普通のドーナツだけ買いたいんやけど。」と言っている方も。皆が皆、ピエールマルコリーニを欲しい訳ではないのね、と、夫に言うと、「そりゃ、チョコが苦手な人だっているし。」確かに、その通り。他のドーナツも美味しい。

 ニコちゃんが今すぐに食べたい!と言うので、フードコートで一つずつだけドーナツを齧る。アルコール配合の除菌シートで、手とテーブルを入念に拭いた後で。チョコが好きで、選ぶドーナツは全てチョコがけのドーナツだったニコちゃん。口と手がチョコまみれ。

 ピエールマルコリーニは、家に帰ってから、じっくり頂きました。全種類買って、4等分にして、食べ比べ。夫もニコちゃんも私も、キャラメルが一番好き。私的2位は、フォンダンショコラ(丸い方)のナッツ風味。全体的に甘さ控えめで食べやすかったです。

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 ピエールマルコリーニ以外で買ったドーナツは、ニコちゃんが選んだチョコがけ二種と、夫のいつものハニーディップと、私のいつものポンデリング。夫はハニーディップが一番好きで、私はポンデリングが一番好き。ネット記事で見た、ミスド従業員一押しはハニーディップだそうで、確かに美味しい。けど、軽い感じのポンデリングも捨てがたい。

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 今日の朝ご飯も、ミスドのドーナツ。チョコがかかったポンデリングを、嬉しそうに食べるニコちゃん。3歳児は、何をしてても可愛い。食べる姿も可愛い。寝てる姿もめちゃくちゃ可愛い。

 隣で食べるのを見ていたら、段々と私の方に寄って来て、ピッタリくっついて嬉しそうにするニコちゃん。チョコがけポンデリングを半分にして、「これママに上げるから半分こする!」と、くれた。美味しい!ありがとう。とお礼を言うと、「ママのお膝で食べる。」と、膝に登ってくる。

 こんなに可愛いのに、たまにどうしようもなく苛々したり、怒ってしまう時もある。大体自分に余裕が無い時。優しくするのはパワーが必要で、パワーは補充しないと、枯渇してしまう。だから今日のお昼は瀬戸内チキンタツタを食べよう。タッちゃん、パワー下さい。優しくなろう。

ハンドソープの謎

 洗面所の泡で出てくるタイプのハンドソープが、いつのまにか満タンになっていた。私には詰め替えた記憶がない。夫に訊ねる。夫は違うと言う。少し前に家の片付けを手伝いに来てくれた祖母に聞く。祖母も違うと言う。

 では一体誰が詰め替えてくれたのか。ニコちゃんに冗漫で問う。「ニコちゃんがしたで!」またまたご冗談を。ニコちゃんはお菓子の袋も自分で開けれない。ハンドソープの詰め替えの袋は、ニコちゃん1人では開けれる筈がない。

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 しばらく使っていると、どうもハンドソープの泡の調子が良くない。以前と何か違う気がする。泡立ちが非常に悪い。泡で出てくるタイプのボディソープに、最後に使い切るために少しお湯を入れた時と似ている。

 そう思った時に、はたと気がついた。もしかして…「ニコちゃん、ハンドソープにお水入れた?」

 帰って来た答えは、「うん!」

 マジか。道理で全然泡立たない訳だ。

 ニコちゃんにハンドソープにはハンドソープを入れること、水を入れたら泡立たないことを教え、毎日何回も何回も泡立たないハンドソープをプッシュし続けて使い続け、ようやく残りが少なくなって、泡立たない生活に終わりが見えて来た。

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 ニコちゃんは、ママやパパや、その他色んな人のことを、良く見ている。生意気な物言いは、私や私の母や祖母にそっくり。皿洗いや料理は、何でもやりたがる。風呂上がりの化粧水は、自分で付ける。ママの歯を磨きたがる。

 昨日は、初めて自分で顔と髪と身体を洗った。まだまだ先だと思っていた行為に、感動した。成長が嬉しくて少し寂しく感じた。

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 お腹の中の子は、とても良く動く。どんな生活が待っているのか、想像も出来ないけれど、ニコちゃんもパパも赤ちゃんも、ママの宝物で大好きだと、伝え続けられるよう気を付けたい。パパに全然言ってないや。ごめんね。

可愛い顔と、変な顔

 餃子の王将に行った。遅めに朝を食べて、お昼の2時半。店内はガラガラだった。

 家庭内でアンケートを取った。家でチャーハンかオムライスかうどんか、外食をするか。夫は下痢が3日ほど続いて病み上がりだったので、家でゆっくりするのがいいのではないか、と妻は提案した。子は、「ちゃあわん外に食べに行きたい」と外食を推した。結果、夫と妻が子に合わせて、中華料理店に行くことにした。

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 雨が降っていた。ニコちゃんは長靴と傘でご機嫌にビンゴの歌を歌いながら、車から降りた。以前、子ども会の遠足の帰りに一度だけ行った王将。駐車場から少し歩いた。

 新人のような、若い女の子が注文を通すと、餃子が一瞬で出てきた。続いて間を空けずにチャーハンもニコちゃんの前に届けられた。お腹がペコペコだったのでとても嬉しかった。餃子はアツアツで、チャーハンは美味しかった。少しとろみのあるスープも絶妙な塩加減。

 食事の前に、アルコール入りのウェットティッシュで手とテーブルを入念に拭く。食べる時以外は、注文する時もマスクを付けておく。私の鼻と頬は連日のマスクで赤く荒れている。それでもマスクなしで生活することは考えられない。

 続いて夫の極王天津飯、私の五目かたやきそば。五目かたやきそばは、少し味が濃かったけれど、家庭では味わえない食材や調味料が、舌も目も鼻も楽しませてくれた。久しぶりの家族3人の食卓。夫の体調か良くなって、私にとっては長かった隔離生活がようやく終わった安堵。家の中でもマスクをつけると、本当にしんどい。

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 300円のソフトクリームを食べたいとゴネるニコちゃんを何とか宥めて、業務用スーパーの88円のクーリッシュで手を打たせる。昼食代は、3人で1700円。安い。美味しくて早くて1人でも気軽に入れて、いいお店だなとこっそり感心していた。

 帰りに業務用スーパーに寄って、晩ご飯の調達。お気に入りのゴミ袋は、コロナ対策の使い捨て容器や持ち帰り用の袋に淘汰されて、影も形も無かった。ショック。夫はチョコをこれでもかとカゴに入れる。3日間、殆どゼリーしか食べていなかったので、糖分不足なのか。私も負けじとメルティキッスのモンブランをカゴに入れる。チョコだらけの買い物カゴが出来上がった。

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 家に帰って3人でアイスとチョコを食べて、お茶を飲ませて親子3人川の字でお昼寝をする。ニコちゃんが一番先に起きて、私を起こして、慌ててトイレに向かう。今日はセーフ。寝ている間の排尿我慢機能はまだ未発達なので、時々お漏らしがある。3歳上のいとこは、まだ夜もオムツなので、気長に見守りたい。

 料理を一緒にするのだと、張り切るニコちゃん。今日は人参を星と花にくり抜いて、ネギを斜め切りにした。鍋の具材をカゴに放り込むのと、鍋に野菜を入れるのをしてくれた。母より女子力高めの3歳児。将来が楽しみだ。

 夕食後は保育園のクリスマス会の写真選び。ニコちゃんの集合写真の変顔がヒドい。1枚目は可愛い笑顔、2枚目はめちゃくちゃ嫌そうな顔、3枚目でほっぺに両手を当ててアッチョンブリケ。ふざけた子供だ。迷ったけど可愛い方。変顔も捨てがたいけど。

 変な顔も、可愛い顔も、どっちも自分の子供だと可愛く見えるから不思議。日に日に変顔に磨きがかかって、将来が心配だけど楽しみです。ぜひ変顔を極めてね。

子供を通して想像すること

 先日、保育園の生活発表会があり、子供達の歌や寸劇を参観した。お向かいのママ友の隣なのに、叫ぶような歌声と、ママを見つけて振る手や声、恥ずかしそうな笑顔に、気が緩むと涙が出そうだった。

 子供たちは順当に成長している。ママがいないところで、歌を覚えて、友達と真似をし合って、先生に指導してもらって、覚えたことを披露できている。去年は入っていた先生の歌声も、今年は無かった。劇を初めて観た。発表会のために、たくさんの準備と時間があったんだろうな。

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 いつだったか、お風呂に入らないと泣き喚く我が子を見ながら、すごくイライラしたことがあった。何度も何度もワガママを笑顔で聞き入れて、それなのに親のお願い事はたった一つも聞き入れてくれないのか、と、子供に対して物凄くささくれ立った気持ちになった。

 そういった時に、いつもふと、母や父の気持ちを想像する。私もそんな時があったのか。ワガママを言って、父や母を困らせて、苛立たせて、許されてきた子供時代が、おそらくあった。覚えていないけれど。

 許すことは、愛することだと、私が愛読しているブログに書いてあった。私はたくさん愛されていたのだと、そうなって初めて気付く。気付くと同時に嬉しくなる。気付きを与えてくれた子供に感謝したくなる。

 私もたくさん許して愛して、いつかこの子が愛されていたのだと感じる日が来ることを願う。そんな未来を想像して、出来るだけ優しくしようと心掛ける。

 心掛けても、出来ない日は少なくないけれど。少しでもそんな日を多くして、子供が愛されていると感じてくれるよう努力する。

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 不完全で、不安定な母親だけど、ニコちゃんのことは大好きで、一生守るから、幸せになってくれると嬉しいな。ニコちゃん、幸せ?幸せだと、嬉しいな。

優しい気持ち

「ママのお腹、何入ってんの?」
 少し丸くなってきたお腹を撫でながら、小さな子が私に聞く。何が入ってると思う?と訊ねると、「赤ちゃん!」と、ニッコリ笑う。

 可愛いなぁ。笑顔も、身長も、後ろ姿も、寝顔も、変な顔も、ひょうきんな性格も、お尻も、何もかもが、小さくて、か弱くて、可愛い。

 「赤ちゃんいる?」と聞いたら、「いらない」と言われて悩んでいた時が嘘のように、「お腹撫でていい?」と、私の身体を気遣ってくれる。パパのお腹はドンドン叩くけど、ママのお腹は絶対に叩かない。「疲れたから歩いて」とお願いすると、素直に歩いてくれるようになった。

 当たり前のことかも知れないけれど、思い通りにならなければ直ぐに泣いていた時を考えれば、めちゃくちゃ嬉しく感じる。今も直ぐに泣くけど。我慢を教えるのって難しい。

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 ニコちゃんと私は違う。違うからこそ、愛してもらえるのが、とても嬉しい。愛しい気持ちが湧くのかも知れない。

 もしニコちゃんが全然知らない子だったら、と、考えてみた。こんなにも可愛い子の側にいられることが、当たり前でも何でもなくて奇跡みたいに感じる。日常を共有できることが嬉しい。

 当たり前だと、永遠だと思うと、しんどくなることもあるけど、奇跡だ、滅多にないことだ、と思うと、新たな気持ちになれる。日常の中にそんな空想を挟みながら、ほっぺを、髪を、小さな手を、撫でて、キスして、「大好きだよ」と伝える。

 「ママ大好き」と唐突に贈られる言葉が嬉しくて、「キスして」と頼むと素直にキスしてくれる信頼と愛情がこそばゆくて、ニコちゃんが望むことを何でも叶えてあげたい気持ちになる。

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 私は奴隷なんかじゃないし、幸せでいていいし、したいことをしていい、休憩したかったら休んでいい。側にいる人は自分で選んでいい。サボってもいい。嘘をついてもいい。自分の利益を優先してもいい(その度合いにもよるけれど)。

 アラサーにもなって、そんな当たり前のバランスが分からなくて、勝手に苦しくなったりイライラしたり、自己中心的な考えしか持たなくて、人間関係も上手くいかなかったりするけれど、あまりマイナスばかりに目を向けず、自分にも人にもいいところに注目できるように頑張ります。

 あけまして、おめでとうございました。

生きてるだけで丸儲け

「何か悩みはありますか」
 3歳半健診で保健センターで保健師さんにそう聞かれて、捻り出した悩み事は、「赤ちゃんいらない」と言われること、だった。

「生後1ヶ月を過ぎても可愛がる様子が見られなかったら、また相談してください」
 まだ実感が湧かないらしい。1週間、ママが居なくなって、久しぶりに会えたと思ったら腕に見知らぬ赤ちゃんを抱っこしていて…そうなると、意地悪する子の気持ちも分からなくない。

 一人で行けていたトイレに、「怖い」と言って行けなくなった。ご飯を膝の上に乗って、「食べさせて」と言うようになった。抱っこを大好きなのは相変わらずだけど、泣いてまで頼む頻度が多くなった。ニコちゃんの前で裸になると、乳首を吸うようになった。

 初めての育児で正解なのか不正解なのか、不安でいっぱいの中、せめて他人からの否定は聞きたくなくて、健診票の項目をほぼ丸にして提出した。

「優しく成長されてますよ」
 些細な肯定の言葉に縋りたくなる。

 毒親には、ニコちゃんの成長や幸せの妨げには、なりたくない。それなのに自分の苛々すらコントロールできない幼稚な親であることを、見透かされたり批判されたりなくて。労せずして得ようとする愚かさ。

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 医療関係者の方がインスタグラムで、余命数ヶ月の小学生の男の子が、詩を書いたそうで、その詩を投稿されていました。内容はうろ覚えなのですが、「朝、起きれて、幸せ ご飯が食べれて、幸せ 家族がいて、幸せ」という感じだったと思います。看護師さん達は、その詩を名札に入れて、いつも持ち歩いているそうで。

 何が幸せで、何が不幸だなんて、本人以外決めることはできないし、失うかも知れないと思わないと見えない幸せがあるのだと、感じました。

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 ご飯、食べなくても、マシンガントークでも、自分のやりたいことを遮られても、悪意なく邪魔されても、それを邪魔だと言えなくても、生きてくれているだけで、オカンは幸せです。多分。

 限界を超えると途端に不機嫌になるダメ親にでも、期待に応えようと健気に一人で完食して。疲れて風呂に逃げ込む母親にも、風呂のドアの隙間から「寝てくるからね」と様子を伺いに来て。

 不完全な人間だけど、完全な人間であるように見栄を張っちゃったりするけど、不完全でも愛してくれる子供は本当に凄くて尊敬します。こんな妻と暮らしてくれる夫の忍耐力も、サポート力も、本当に凄いなぁと尊敬します。私も頑張ろ。

見えないと忘れる

 なかなか寝ないニコちゃんにイライラして、襖を開けると(当初は和室で寝ていた)、仄かな明かりに照らされた、小さな可愛い女の子。あぁ、こんな小さかったんだな、可愛かったんだな、とイライラが少しおさまる。

 我慢して、我慢して、我慢して、爆発する前に、ニコちゃんを見れて良かった。小さな温もりを手に包んで、幸せなのだと涙を流して横になる。自分の小ささに嫌になる。嫌なのに自分が好きで、自分のことしか考えられなくて。

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 黒地に微かな白の先生で、もぞもぞと動く4センチの小さな生き物。「動いてるね」先生の言葉に、「めっちゃ動いてますね」と笑った。自分の希望ではあるけれど、夫のために、ニコちゃんのために、という気持ちもあった。ニコちゃんは喜んでくれるだろうか。

 母の言葉に一喜一憂する、弱い私がいる。母の考えと私の考えは必ずしも一致しないし、母の考えに迎合できなかったからといって、母を蔑ろにしていることにはならない。他人と自分の境界線が曖昧で、他人の期待に応えられなくて苦しいのは私の特性の問題。他人は悪くない。

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 いつも突然スイッチが切れてしまう。さっきまで許せていたことが、許せなくなる。そんな母でニコちゃんは混乱していないだろうか。いつも優しい母でいたいのに、私の本質は冷たい人間だから、時々(いや頻繁に)メッキが剥がれてしまう。不意にガス欠になる。

 私は私のやりたいようにやればいいのに、他人からどう見られるかを気にして息苦しくなる。思うようにやりたい(私の本質は怠け者だ)という気持ちと、普通の人間に見られたい(劣ってると思われたくない)という気持ちと、どれくらいのバランスを保てばいいのか分からない。臨機応変に対応できない。

 上記の問題の対応は、また明日以降考えたいと思います。今日は愚痴ってネガティブで終わります。ではまた。