ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

子供を通して想像すること

 先日、保育園の生活発表会があり、子供達の歌や寸劇を参観した。お向かいのママ友の隣なのに、叫ぶような歌声と、ママを見つけて振る手や声、恥ずかしそうな笑顔に、気が緩むと涙が出そうだった。

 子供たちは順当に成長している。ママがいないところで、歌を覚えて、友達と真似をし合って、先生に指導してもらって、覚えたことを披露できている。去年は入っていた先生の歌声も、今年は無かった。劇を初めて観た。発表会のために、たくさんの準備と時間があったんだろうな。

 ◆

 いつだったか、お風呂に入らないと泣き喚く我が子を見ながら、すごくイライラしたことがあった。何度も何度もワガママを笑顔で聞き入れて、それなのに親のお願い事はたった一つも聞き入れてくれないのか、と、子供に対して物凄くささくれ立った気持ちになった。

 そういった時に、いつもふと、母や父の気持ちを想像する。私もそんな時があったのか。ワガママを言って、父や母を困らせて、苛立たせて、許されてきた子供時代が、おそらくあった。覚えていないけれど。

 許すことは、愛することだと、私が愛読しているブログに書いてあった。私はたくさん愛されていたのだと、そうなって初めて気付く。気付くと同時に嬉しくなる。気付きを与えてくれた子供に感謝したくなる。

 私もたくさん許して愛して、いつかこの子が愛されていたのだと感じる日が来ることを願う。そんな未来を想像して、出来るだけ優しくしようと心掛ける。

 心掛けても、出来ない日は少なくないけれど。少しでもそんな日を多くして、子供が愛されていると感じてくれるよう努力する。

 ◆

 不完全で、不安定な母親だけど、ニコちゃんのことは大好きで、一生守るから、幸せになってくれると嬉しいな。ニコちゃん、幸せ?幸せだと、嬉しいな。

優しい気持ち

「ママのお腹、何入ってんの?」
 少し丸くなってきたお腹を撫でながら、小さな子が私に聞く。何が入ってると思う?と訊ねると、「赤ちゃん!」と、ニッコリ笑う。

 可愛いなぁ。笑顔も、身長も、後ろ姿も、寝顔も、変な顔も、ひょうきんな性格も、お尻も、何もかもが、小さくて、か弱くて、可愛い。

 「赤ちゃんいる?」と聞いたら、「いらない」と言われて悩んでいた時が嘘のように、「お腹撫でていい?」と、私の身体を気遣ってくれる。パパのお腹はドンドン叩くけど、ママのお腹は絶対に叩かない。「疲れたから歩いて」とお願いすると、素直に歩いてくれるようになった。

 当たり前のことかも知れないけれど、思い通りにならなければ直ぐに泣いていた時を考えれば、めちゃくちゃ嬉しく感じる。今も直ぐに泣くけど。我慢を教えるのって難しい。

 ◆

 ニコちゃんと私は違う。違うからこそ、愛してもらえるのが、とても嬉しい。愛しい気持ちが湧くのかも知れない。

 もしニコちゃんが全然知らない子だったら、と、考えてみた。こんなにも可愛い子の側にいられることが、当たり前でも何でもなくて奇跡みたいに感じる。日常を共有できることが嬉しい。

 当たり前だと、永遠だと思うと、しんどくなることもあるけど、奇跡だ、滅多にないことだ、と思うと、新たな気持ちになれる。日常の中にそんな空想を挟みながら、ほっぺを、髪を、小さな手を、撫でて、キスして、「大好きだよ」と伝える。

 「ママ大好き」と唐突に贈られる言葉が嬉しくて、「キスして」と頼むと素直にキスしてくれる信頼と愛情がこそばゆくて、ニコちゃんが望むことを何でも叶えてあげたい気持ちになる。

 ◆

 私は奴隷なんかじゃないし、幸せでいていいし、したいことをしていい、休憩したかったら休んでいい。側にいる人は自分で選んでいい。サボってもいい。嘘をついてもいい。自分の利益を優先してもいい(その度合いにもよるけれど)。

 アラサーにもなって、そんな当たり前のバランスが分からなくて、勝手に苦しくなったりイライラしたり、自己中心的な考えしか持たなくて、人間関係も上手くいかなかったりするけれど、あまりマイナスばかりに目を向けず、自分にも人にもいいところに注目できるように頑張ります。

 あけまして、おめでとうございました。

生きてるだけで丸儲け

「何か悩みはありますか」
 3歳半健診で保健センターで保健師さんにそう聞かれて、捻り出した悩み事は、「赤ちゃんいらない」と言われること、だった。

「生後1ヶ月を過ぎても可愛がる様子が見られなかったら、また相談してください」
 まだ実感が湧かないらしい。1週間、ママが居なくなって、久しぶりに会えたと思ったら腕に見知らぬ赤ちゃんを抱っこしていて…そうなると、意地悪する子の気持ちも分からなくない。

 一人で行けていたトイレに、「怖い」と言って行けなくなった。ご飯を膝の上に乗って、「食べさせて」と言うようになった。抱っこを大好きなのは相変わらずだけど、泣いてまで頼む頻度が多くなった。ニコちゃんの前で裸になると、乳首を吸うようになった。

 初めての育児で正解なのか不正解なのか、不安でいっぱいの中、せめて他人からの否定は聞きたくなくて、健診票の項目をほぼ丸にして提出した。

「優しく成長されてますよ」
 些細な肯定の言葉に縋りたくなる。

 毒親には、ニコちゃんの成長や幸せの妨げには、なりたくない。それなのに自分の苛々すらコントロールできない幼稚な親であることを、見透かされたり批判されたりなくて。労せずして得ようとする愚かさ。

 ◆

 医療関係者の方がインスタグラムで、余命数ヶ月の小学生の男の子が、詩を書いたそうで、その詩を投稿されていました。内容はうろ覚えなのですが、「朝、起きれて、幸せ ご飯が食べれて、幸せ 家族がいて、幸せ」という感じだったと思います。看護師さん達は、その詩を名札に入れて、いつも持ち歩いているそうで。

 何が幸せで、何が不幸だなんて、本人以外決めることはできないし、失うかも知れないと思わないと見えない幸せがあるのだと、感じました。

 ◆

 ご飯、食べなくても、マシンガントークでも、自分のやりたいことを遮られても、悪意なく邪魔されても、それを邪魔だと言えなくても、生きてくれているだけで、オカンは幸せです。多分。

 限界を超えると途端に不機嫌になるダメ親にでも、期待に応えようと健気に一人で完食して。疲れて風呂に逃げ込む母親にも、風呂のドアの隙間から「寝てくるからね」と様子を伺いに来て。

 不完全な人間だけど、完全な人間であるように見栄を張っちゃったりするけど、不完全でも愛してくれる子供は本当に凄くて尊敬します。こんな妻と暮らしてくれる夫の忍耐力も、サポート力も、本当に凄いなぁと尊敬します。私も頑張ろ。

見えないと忘れる

 なかなか寝ないニコちゃんにイライラして、襖を開けると(当初は和室で寝ていた)、仄かな明かりに照らされた、小さな可愛い女の子。あぁ、こんな小さかったんだな、可愛かったんだな、とイライラが少しおさまる。

 我慢して、我慢して、我慢して、爆発する前に、ニコちゃんを見れて良かった。小さな温もりを手に包んで、幸せなのだと涙を流して横になる。自分の小ささに嫌になる。嫌なのに自分が好きで、自分のことしか考えられなくて。

 ◆

 黒地に微かな白の先生で、もぞもぞと動く4センチの小さな生き物。「動いてるね」先生の言葉に、「めっちゃ動いてますね」と笑った。自分の希望ではあるけれど、夫のために、ニコちゃんのために、という気持ちもあった。ニコちゃんは喜んでくれるだろうか。

 母の言葉に一喜一憂する、弱い私がいる。母の考えと私の考えは必ずしも一致しないし、母の考えに迎合できなかったからといって、母を蔑ろにしていることにはならない。他人と自分の境界線が曖昧で、他人の期待に応えられなくて苦しいのは私の特性の問題。他人は悪くない。

 ◆

 いつも突然スイッチが切れてしまう。さっきまで許せていたことが、許せなくなる。そんな母でニコちゃんは混乱していないだろうか。いつも優しい母でいたいのに、私の本質は冷たい人間だから、時々(いや頻繁に)メッキが剥がれてしまう。不意にガス欠になる。

 私は私のやりたいようにやればいいのに、他人からどう見られるかを気にして息苦しくなる。思うようにやりたい(私の本質は怠け者だ)という気持ちと、普通の人間に見られたい(劣ってると思われたくない)という気持ちと、どれくらいのバランスを保てばいいのか分からない。臨機応変に対応できない。

 上記の問題の対応は、また明日以降考えたいと思います。今日は愚痴ってネガティブで終わります。ではまた。

へたくそヘンタイ/可愛いの大洪水

 どこでそんな言葉を覚えたのか。3歳と4ヶ月の娘が父と母に向かって「へたくそヘンタイ」と呼ぶ。ショックを受けるので止めてほしい。子供はどんな反応でも、あると嬉しいようで、私がショックを受ければ受けるほど、子供は私をへたくそヘンタイと呼ぶ。

 どうも、へたくそヘンタイです。寒かったり暑かったり忙しい日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

 昨日、夜中に目が覚めてトイレに行くと、夫もトイレに行くのに起きたので、久しぶりに夫にくっついて寝ました。最近筋トレを再開して少し逞しくなった腕を枕にして夫の寝顔を見ていると、新婚旅行で行ったハワイを思い出しました。

 ハレクラニに泊まりたかったけれど、予算が合わなくて諦めたこと。けどシェラトンの部屋もとても綺麗で、バスルームとベッドルームが白い木のシェードの窓で可愛かったこと。ショッピングモールで買い物をしたり、二階建ての赤いバスに乗ったり、天使の海と呼ばれるビーチがある町でサイクリングをしたこと。

 当時流行ってたアサイーボウルや、夫の好きなステーキを食べに行ったこと。英語が全然分からなかったけど、リスニングが出来る夫をとても頼りに思ったこと。名前も知らなかった魚がとても美味しかったこと。(ポキポキだったかな。変わった名前。)

 観光に忙しすぎて、ハネムーンベイビーなんて無理だったこと。(そもそも私は転職したてですぐに子供は望んでいなかったけど。)けれども楽しくて幸せで目まぐるしい旅行だったこと。またニコちゃんが大きくなったら家族でハワイに行きたいな、そう思いながら夫を見ていました。

 ◆

 ふとニコちゃんが風邪をひかないか、布団をちゃんと被っているか気になって、ニコちゃんを触ると、ニコちゃんがムクッと起き上がって、キョロキョロ辺りを見回していました。私が目の前にいるのに、誰かを探しているということは、きっとパパを探しているのだろうと、「パパここにいるよ」と教えると、パパとママを一瞥して、パパの布団に移動して倒れました。(パパ、ニコちゃん、ママの順で布団を引いていました。)

 ニコちゃんが何度も布団を蹴飛ばすので、心配になってニコちゃんの近くに行って布団をかけ直すと、パパに対する感情とはまた違った感情が湧いてきました。

 可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。ただただ愛くるしくて可愛らしくて儚げでスベスベでいい匂いで守ってあげたくなる、見ているだけで幸せな、可愛いの大洪水な存在でした。ニコちゃんが大きくなったらこんな感情は無くなってしまうのかな。子供が寝ている時に湧き上がる感情は一体何なのでしょうか。

 夫の子供だからこんなにも可愛いのか。胎内記憶の漫画とか読んでると、赤ちゃんは空からパパとママを選んで来てくれる、って描いてあったりするけれど、ニコちゃんもパパとママに会いたくて選んで来てくれたのか。だから可愛いのか。と、スピリチュアルなことを考えて毎日過ごしています。

 ◆

 昨日はマイペースな祖母に、ついキツいことを言ってしまって、反省しました。言葉は刃。自分が被害者ではなく、加害者にもなることを忘れずに、感情に振り回されずに、常に冷静に客観的に面白いと思えるように、思ってもらえるように気をつけたいです。自戒。

ママはニコちゃんの大好きな宝箱

 朝、起きてから、5時半までに起きれたら、ご飯を炊く。起きれなかったら、諦める。お弁当のおかずを作って、お弁当箱に詰める。残りをニコちゃんのお弁当箱に入れて、朝ご飯にする。

 そんな日は稀だ。大抵は二度寝、三度寝をして、夫が朝ご飯を食べる横に座って、夫の朝ご飯を半分貰う。夫が入れたカフェオレも半分掠め取る。夫がスーツで着飾って、ピシッとした全身を、頭ボサボサのパジャマ姿で見送る。

 それから、洗濯物を回して、化粧をして、ニコちゃんを起こす。中々起きなくて、今日は布団から転がしてみた。畳の上でも寝続ける。しぶとい大敵である。

 起きてすぐ指定の体操服に着替えさせて、朝ご飯を食べさせる。朝ご飯を食べさせながら、髪の毛をくくる。大抵私は「遅刻しちゃう、早くして」を繰り返している。食べ終わったら顔をガーゼで拭く。

 朝ご飯を食べながら、突然ニコちゃんが「ママはニコちゃんの大好きな宝箱」と言って、抱きついて来た。多分、宝物だと言いたいのだろう。ママがニコちゃんは宝物だと言うのを、真似したのだろう。それでも嬉しい。言い間違いが可愛い。

 ◆

 夫が、コメダ珈琲のキウイのかき氷を食べたがったニコちゃんのために、キウイを買って、ブンブンチョッパーでジュレにして、砂糖から作ったシロップで割って、キウイシロップを作ってくれた。私はかき氷を上手に作れないので、ニコちゃんが「かき氷食べたい」と言った時は夫に任せる。

 夫が氷が細やかで、美味しい。キウイシロップも、とても美味しかった。家で作ってもらうものは、とても贅沢で、美味しい気がする。私が出来ないことを出来る人は、単純に尊敬する。

 ◆

 3歳くらいの子供の99%はママなのだと、姉が言っていた。ママが嬉しいと、子供も嬉しいらしい。子供が生まれてから、夜の飲み会も、贅沢なディナーも、ゴールデンのバラエティも、夫と2人での漫喫もカラオケも、映画館も、ウィンドウショッピングも、色んな楽しみが制限された。

 けれど子供が生まれなければ、夫や亡き祖父の涙も、父の優しさも、姉の気配りも、母の愛も、見ることは出来なかったかも知れないと思う。何より子供に愛されることが、どんな意味を持つかなんて、想像出来なかった。ニコちゃんのお陰で、夫のお陰で、人生最良の日がちょくちょくアップデートされる。

 テレビの中の人が言っていたけれど、「妻は僕と結婚しなくても幸せになっていた。けれど僕は妻と結婚しなければ、幸せになれなかった」の言葉が、とても良く分かる。立場は逆だけど、私もたぶんそうだと思う。

生まれた理由と、分かって欲しい気持ち

 昨日、大型台風が日本に接近し、各地に大きな影響を与える中、初めての育児の中で捧げた3年に、ようやく終わりを迎えた。

 マスクを付けたまま、2時間もの間、走ったり、電車に揺られたり、見知らぬ通路を看板を頼りに長い時間歩いて、やっと辿り着いた目的の場所。たくさんの人が行き交って、会場の前で同じ学校の仲間同士で写真を撮って、トイレを済ませて、試験開始までの30分の間、少しでも足掻こうと過去問を解いた。

 試験は見たことのない問題ばかりで、自信があるのは50問中34問だけだった。30問正解で合格なので、ギリギリ合格ラインといったところ。全問正解を目指して頑張ったのに、情けない。母と夫に褒められたかったのに。

 終わって級友と感想を言い合う。口々にみな難しかったと述べて、私一人じゃなかったんだと安心する。自己採点の結果、48問正解だった。100点満点に換算すると、96点。100点ではなかったけれど、頑張ったことを母と夫に報告し、承認の言葉を貰う。嬉しかった。

 ◆

 家に帰ると5時過ぎだったので、近所のハンバーグ屋さんに外食に行くことを提案する。夫とニコちゃんは昼に回転寿司を食べに行ったそうで、ニコちゃんはガチャガチャのオモチャを嬉しそうに見せてくれる。

 ニコちゃんが1キロほどある距離を歩くと言うので、夫に車を運転してもらい、ニコちゃんと手を繋いで歩く。ニコちゃんがしばらく歩くと「ニコちゃんはなんで生まれて来たと思う?」と尋ねてきた。「なんでなん?」と尋ね返すと、「ママに会うため」と言ってくれた。「ママに会いたかったから生まれてきてん」と続ける。人生で一番嬉しい言葉かも知れない。

 ハンバーグ屋さんまで、ニコちゃんが走ると言うので一緒に手を繋いで走る。今までなら、すぐに「抱っこ」と甘えていたのに、ちゃんとハンバーグ屋さんまで走り切れた。保育園でかけっこの練習をしているからか。ニコちゃんの成長にまた驚かされる。

 ◆

 家に帰るとyoutubeを付ける。お風呂に入って、歯磨きするのも、私が「そろそろ寝よう」と言うのにも、すぐに聞かずにyoutubeを夢中で見続ける。早く寝かしたくてyoutubeを消すと、夫に「ママが意地悪する」と告げ口する。夫は私の味方をするも、ニコちゃんは不満顔。足の爪が割れていて、爪を切ろうと寝室を出ると、途端にニコちゃんが大号泣する。

 泣くニコちゃんをポンポンして、「どうしたん?」と聞くも答えない。「ママが怒ったと思ったん?」と聞くと首を縦に振る。「怒らないよ。ママ、ニコちゃんのこと大好きだよ」と言って抱き寄せると、泣き止んで、そのまま眠る体制に入った。

 「ママに会うために生まれてきた」と言ってくれたニコちゃんを、泣かせてしまったことに涙が出た。情緒不安定な母親だ。夫の腕枕で泣いていたので、夫の腕に涙を擦り付ける。夫は涎だと思ったらしく、「ちょ、やめて」と焦っていた。

 ◆

 ニコちゃんは、自分の気持ちを分かってもらえないことが、どうも泣くほど嫌らしい。けれどそれって、いつも泣かないのは、気持ちを分かって貰えてると思っているということだと、ポジティブに受け止めよう。子育てに正解や不正解なんて無いのだ、きっと。笑顔でいれたら、生きてくれてたら、それでいい。

 と、思いながらも、泣かせてしまったことに落ち込む未熟母。けどきっと人間死ぬまで未熟なのだ。相手の気持ちを考えることを、忘れないよう気をつけたい。