ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

子育て=心身の健康的な発育を主体的に促す、人間の文化を教える

父と母は、子の最も身近な親であるから、まだ外の世界を知らない子にとっては、父と母が世界の、というか、人間としての文化の全てになるのだろう。

ニコちゃんの「いらん」という言葉遣いにしろ、トイレで用を足したがるようになったことにしろ、服を着るにしろ、それらは私たち父と母がニコちゃんが右も左も分からないうちから繰り返し与え、提示し続けてきた結果なのだろう。今の日本の文化を私たちがニコちゃんに刷り込んでいるのだ。私たちもそうやって親、もしくは親代わりの人から刷り込まれて来たのだ。

そう考えると「文化」というのは「身近な人物への感情」と密接に関係しているもので、宗教間の争い、違う民族への反発心は、自分の感情を守るためにどうしても起こりうることなのかも知れない。自分や家族を守るために人を傷付けてしまうことが、無意識にせよあるかも知れない。

閑話休題

産まれてすぐの子育ては、人間も悪くないよ〜、と、人間に慣らす気持ちで行うといい、というのを何処かで見て、成る程それなら私にも出来そうだ、と、子犬を育てた時の感覚で行っていた。

ニコちゃんが大きくなり、少し意思疎通が取れるようになってくると、命の危険がある時は大きな声で注意する以外は、なるべく自尊心を育てようと甘やかし続けた。これが多分いけなかった。しんどくなった。もっと親は自己中になってもいいのだ。てぃ先生の「子供は王様じゃない」という言葉が、胸に沁みる。

今現在、こちらの言うことはほぼ理解して、眠い時、お腹が空いた時以外は、親の言うことを聞き、我慢することも覚え始めている。人間社会の文化を覚えるのに、ワガママばかり通させていてはダメだと、母は思うようになった。けれども、どんなバランスがベストなのかは、その子供や環境によると思う。

同時に、家にいる時くらいは、めいいっぱい抱っこして、くっついて、スキンシップをする時間も大切にしよう、とも思う。

予定を詰め込んで、時間いっぱい活動することが価値のあることだと思っていたので、子供がいるスローな生活に、罪悪感が少しあったのかも知れない。

目的のない散歩や、公園で遊ぶこと。押し付けられる頬の柔らかさや滑らかさ、予期せず唇を奪われた時の、歯の健康の心配を上回る胸のときめき、抱っこしている時の充足感と温かさ。何もしていなかったのではなく、私が見つけられなかっただけかも知れない。

最近、ニコちゃんの可愛さに驚く。責任のないことに癒されて、責任を負える幸せを噛み締める。この子の一生を、私は担っている。誇りに思おう。