ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

与えても与えても

気持ちや愛情を与えても与えても満足しない、砂漠のような人間っていうのはいるの思う。

店を経営していて、なおかつ父の親、つまり舅と姑と、なんなら父の祖母とも同居し、そして親戚の往来が激しい家の嫁を兼務し、若くして結婚した母は、恐らく苦労が絶えなかったと思う。母の人の言う事を聞かない性格は、生まれ持ったものではなく、そうした環境の中で、後天的に形成されたものかも知れない。

保育園時代の記憶は殆ど無いのだけど、小学校の時に家に帰っても母は併設された店で仕事中で、近くに住む叔母が家族のご飯を作りに来てくれていた。お風呂は父に入れて貰っていた。遊び相手は、姉か従兄弟か実家で飼っていた犬か近所の犬や猫だった。寝る時はかろうじて父と母と寝たように思う。忙しい人だった。いや、今も忙しい人だ。

母との会話は無く、話を聞いてくれる大人はご飯を作りに来てくれる叔母だったのか、母が「私に話さず叔母さんに話すなんて」とショックを受けたらしい。母も父も祖父も祖母も曾祖母も姉も、相手の話をじっくり聞く性格ではない。叔母が一番親族の中では聞き上手だ。お菓子作りが好きだったのだけれども、いつでも叔母と作っていたように思う。

薄情に見える子供だったけれども、私なりに母のことは愛していたと思う。何も言われなくても、将来の夢に母の職業を挙げ、母から反対されるとそれに従い、母の気持ちを思い、母が家を出ようとするのを引き止め、母が私を入れたがった学校に入学し、母の言う通りに大学受験をした。他にもしたいことがあったけれど、最終的には母の言う事に従った。親の言うことを良く聞くつまらない「いい子」だったと思う。

大学では、初めて母の意に背いた。大学卒業後も、母の意に背きつつ、母の意見を受け入れつつ、自由を謳歌した。結婚は自分で選んだ人としたが、母の気持ちを存分に汲んだ。結婚後も、実家から離れつつも母のことは気にかけていた。出産後は、母の店で働くようになり、再び母と実家とべったりになった。一旦「悪い子」になって、また「いい子」になったような感じである。

これだけ尽くしても、母はまだ足りないと文句を言う。恐らく同じくらい、いやそれ以上に、母は私に尽くしてくれているのだと思うのだけども。私もまあまあ彼女に尽くしてるんじゃないだろうか。そろそろ褒めてくれたっていいんじゃないだろうか。

与えることが喜びなのではなく、喜んでもらうことが喜びなのである。もう一つ更に言うと、相手の中に私が確かに存在すると強く実感することが、嬉しいのである。 与えてばかりでは枯渇する。そう、思いながらも今日も淡い期待を胸に、母に尽くし続ける。きっと一生、離れない限り、私は母に尽くし続ける。同じように、母も私に尽くし続けてくれる、たぶん。しんどくなりながらも、愚痴を言いながらも、それでも母が幸せでいてくれたらな、と思う。