ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

無秩序の許容

 現代社会は秩序の維持に全力で努め、秩序を乱すものは排除しようとする。許容しない。そうすることで治安が良く、居心地の良い社会を作ろうとしてきた。

 それは絶対的な正義であり、秩序を乱すものは悪と見なされる。私も例に漏れず、何の疑いもなく、そうやって生きてきた。排除された人の気持ちなんて考えたこともなかった。

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 現代社会の標準はいつでもマジョリティで、それは、五体満足で、10代後半から60代くらいの異性愛者で、誰の助けも必要とせず、働けて、自活できる能力を持った人たちだと思う。彼らは規則正しく職場に向かい、お行儀よく電車に乗り、娯楽を消費し、人生を謳歌している(と思っている)。

 標準から逸脱する人のことは見て見ぬフリをして、自分に関係する人以外の人の気持ちは想像もせず、自分の世界が全てで、自分がいつでも正しい。他者との関わりが希薄になりつつある中、家族内でマイノリティの人がいなければ、マイノリティの人に想いを馳せることも無いのだろう。

 健康な若い男女のカップルが臆せず優先座席に座り、お年寄りに席は譲らない。皆スマホをいじって自分の世界に没頭し、現実の周囲は別世界だと思っている。もしくは寝て、逃避する。そして夜な夜なスマホを触る。

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 妊婦時代、マタニティマークを付けることが怖かった。ネットでは、マタニティマークを付けていることによって、突き飛ばされたり、舌打ちされたり、認知度が低く、優先座席に座っても「若いのに座るな」と言われたりする、と書かれていた。

 初めての妊娠で、自分の体内に何かあればすぐに消えてしまうかも知れない小さな小さな生命を抱える不安を、共有できる相手はとても少なかった。職場には妊活で悩む同僚もいた。流産の経験を持つ近い親戚もいた。

 望んでも叶えられないのならば、最初から望まない方がラクだ。けれども万が一の時に、妊娠していることが分かった方がいいかも知れない、とマタニティマークを付けて、すぐに取り出せるよう隠して持ち歩いた。

 電車内ではしんどい時は出すようにしていた。けれども譲ってもらえることは稀だった。譲ってくれた男性は若かった。奥さんが妊娠中なんだろうか。女性は出産経験者だったのだろうか、しっかりしているように見えた。いずれも涙が出そうになった。ありがたかった。

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 子供は無秩序の塊だと思う。突然歌い出して、突然大声を出して、少しでも気に入らなければ癇癪を起こして、大人やお友達を叩いて、自分の欲求が少しでも叶えられなければ泣く。道理や正論なんて通じない。彼ら彼女らは動物に近い。本能のままに行動する。

 嫌われるかも知れない、なんて微塵も思わない。いや、正確には思わせてはいけないという私の思い込みかも知れない。

 子供はのびのびと、愛情を持って育ててあげて、と秩序正しい社会は望む。けれども親は秩序の中で生きてきた人間で、社会は無秩序を許容しない。一歩家を出れば、時には心が折れる出来事にも遭遇する。

 秩序正しい社会は子育てに優しくない。無秩序を爪弾きしようとするマジョリティ達がいる限り、子供を連れて社会に出るのはとても大変だ。子供は可愛い、子供は癒される。そんな好感度が高い言葉は簡単にたくさん使われるのに、実際に子供のために席を立つ人はどれくらいいるのだろうか。

 子供が苦手、子供が嫌い。そんなマイナスな言葉は使いにくいだけで、そう思う人は大勢いるのだろう。だって秩序を乱す存在で、自分には何のメリットも無い。だから見て見ぬフリ。見て見ぬフリが優しいことだと思っている。外出先では困っていても誰に助けを求めることも出来ないから、一人でなんとかするしかない。

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 インドでは、「迷惑をかけて当たり前、かけられて当たり前」という考えがあるのだそう。自分が人を助けるから、人に助けられるのも当然のこと。むしろ助けてもらうことを、相手にとってもいいことであると捉えている、という。

 その考えを知った時、素敵だなぁと思った。日本でも広がればいいのに、とも。

 日本だと、「他人に迷惑をかけるな」と教えられる。そして自分に降りかかる迷惑からは逃げるようになる。

 迷惑、少しくらいかけてもいいんじゃないでしょうか。助ける方もいい気持ちになる迷惑は、気軽にかけてもいいと思う。「迷惑かも知れない」は思い込みかも知れない。

 それでも人によったら本当に望まない人もいるわけで、ボーダーラインの判断はめちゃくちゃ難しい。だから迷惑かけてもいいよ、って人は、積極的に手をあげて欲しい。喜んで迷惑をかけに行くので。

 その分、自分もなるべく人を助けたいと思う。ボランティアをする学生に、先生が「尊大な気持ちを持ってはいけない。彼らは貧しいけれど、君たちに豊かさを分け与えてくれる。」と教えたそうだ。与えることの豊かさ。秩序を重んじて、礼儀正しい現代社会の日本人が幸せになる鍵はそこにあるんじゃないだろうか。

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 と、正論ぶって、本音は全力の助けて欲しいアピールです。子供抱っこしてる人にも席を譲ってあげては貰えないでしょうか。泣いて喜びます。

 まあでも、皆自分で精一杯で、しんどいんだろうなぁ、という気もします。出来る範囲で、優しくしてもらえたら、助けて貰えたら嬉しいです。すみませんが、よろしくお願いします。