ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

てのひらに勇気

 保育園の準備をしたくない。時間通りにいけなくて怒られたくない。仕事に行きたくない。ダルい。休みたい。ふいに、そんな感情に襲われる。

 ニコちゃんを起こして(というか起こしに行ったら起きていた、非常に機嫌が良かった)、朝ご飯に冷凍していたパンを焼いて、牛乳をコップに入れて、ハチミツをパンにかけて、ニコちゃんが食べるのを見守りつつ、手伝いつつ、連絡帳を書いたあとのこと。

 休んでしまおうか。突発的にそう思う。今日はMさんが店を手伝いに来てくれる日。私がいなくても店は回る。私の熱が出たことにして、保育園も店も休んでしまおうか。どこか遠くに行きたい。私が今いなくなっても、ニコちゃんは大きくなるし、夫も元気で過ごしていけるんだろうな。

 ドロップアウトするのは一瞬だけど、復帰するのは難しい。継続に価値がある。今一瞬のしんどいことを乗り越えれば、未来はまだマシになる。気を取り直して、いつもは一時間半かける準備を、30分で終わらせて、保育園に連れて行く。やれば出来た、私。

 ニコちゃんは今日はゴンタを言わず(関西の方言で、ワガママを言わないという意味)、イオンで釣った(とニコちゃんは言うけど本当はすくった)金魚と恐竜2匹を戦わせ、キスをさせ、ご機嫌だったため、歯磨きも着替えもスムーズに行えた。アンパンマンの長靴も自分で履いた。「金魚は?金魚!」と自分で落としておきながらゴネたけど、取りに行ったらすぐに見つかったので良しとする。

 右手に「おさかな」(ガチャガチャで出てきた魚のバッチ)、左手に金魚1匹と恐竜2匹。チャイルドシートにもすんなり乗ってくれた。良し。ニコちゃんは保育園に行く時、何かしら手にして持っていく。ただ単に手が寂しいのか、それとも心が寂しいのか、お守り代わりなのか。保育室に着くと、手放すのを少しゴネる時もあるが、大抵はすんのり渡してくれる。戦うための奮起材なのか。考えすぎか。

 「ニコちゃんおはよー!」10分遅刻で、既に朝のおやつを食べるためにテーブルについている級友の誰かが、ニコちゃんに声をかけてくれる。嬉しい。誰かの中にニコちゃんが存在することが、ニコちゃんが誰かと友情を育めていることが。

 私がいなくなっても、ニコちゃんは大丈夫、たぶん。そう思えるのは、たぶん幸せなこと。けれども私がいた方がニコちゃんは幸せだと思うから、ニコちゃんがもう私をいらない、うっとおしい、と思えるくらいまで長生きできたら幸せだな、と思う。

 以前は私が二人なんて絶対いらない、と思っていたけど、ニコちゃんが生まれてからは私がもう一人いたら、と思うようになった。この自己愛はニコちゃんのおかげなのだ。長生きしたい、もニコちゃんが生まれてなかったら、きっと思わなかった。私がニコちゃんを愛しているのもあるけど、私はニコちゃんに愛されていて、気づかない間に愛情をたくさん貰っているのかも知れない。