ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

お姫さまのその後

 「喧嘩をしないで。」我が家の姫は、下僕の二人にそう命令された。「仰せのままに、姫さま。」下僕たちは自らの言葉遣いを反省し、姫を不快にさせたことを丁重に詫びた。

 夏の暑い日だった。盆も暮れに差しかかるころ、姫は下僕たちを連れて二つ隣の国まで偵察に出掛けた。何やらその国では遊技場があり、毎日姫たちや王子たちのためのショーが開かれており、連日すごい人で賑わっているという。下僕たちはせっせと姫のためのお召し物やお食事やお飲み物を用意し、馬車に詰め込んだ。

 近頃では馬車専用の道路が作られ、二つ隣の国まで以前よりはとても短い時間でたどりつくことができる。馬車の性能も向上し、より揺れが少なく、燃費もよく、快適な空間をつくることができるようになった。それでも姫さまは多感で繊細であられるため、なかなか眠りにつくことはできなかった。

 ようやく姫さまがお眠りになりかけたころ、目的の遊技場へたどりついた。下僕の一人が申し訳ないながらも姫さまを抱え、手押し車に横になっていただく。姫さまはすぐに目を覚まされ、遊技場へと向かうこととなった。

 馬車を止めるスペースはすでにほぼ埋まっていて、馬車を降りてからも人の多さに姫さまと下僕たちはおどろいた。近くには海も見える。服や、食べ物、飲み物、何でもある市場はまるでお祭りのようで、姫さまは本来の目的も忘れ、物珍しい食べ物に夢中になった。

 下僕たちは姫さまにタピオカヨーグルトマンゴーという飲み物と、桃とフランボワーズ、そしてきいちごのジェラートという食べ物を買い、運んだ。姫さまは大層お喜びになり、その笑顔は下僕たちの長時間の移動を癒された。下僕たちはその後、芋を油で揚げたものなどを姫さまに献上し、姫さまはそれをとても気に入られた。

 目的の遊技場は、姫さまをとても楽しませてくれた。テレビや本の中だけでしか会えなかったキャラクターが、音楽に合わせて歌いながら踊る。小さなオモチャに過ぎなかった乗り物が、実際に乗り込めるオブジェとなっていたるところにたくさん存在する。

 キャラクターや世界観を表現したすべり台や小さな家にお店屋さん。どれもお姫さまの住む国にはないものばかりで、お姫さまはいつまでも遊んでいられそうな気配であった。けれども馬車の駐車スペースは時間が経てば経つほど駐車料金が高くなっていくシステムだ。国の予算にも限りがあるので、下僕たちは泣く泣く帰りたくないと駄々をこねるお姫さまを無理やり抱きかかえ、連れて帰ることにした。カルビーじゃがりこポテトはお姫さまのご所望で帰りにもう一度買った。

 帰りの車では高速道路を降りる直前にお姫さまは寝た。インドカレーのお店で夕食を済ませることにするも、お姫さまは席に着いても起きない。インド人が何度も起こしに来る。「起きるねー!!!帰ってから寝るねー!!!」それでも起きない。ついに子供用カレーが席に届けられた。下僕は姫を無理やり座らせる。

 お姫さまは何とか目をさましてナンにカレーをつけて食べ始める。ナンを手に取り「パン!」と嬉しそうに食べるが、下僕はとても「それはパンやない、ナンや!」とは指摘できない。お姫さまは中々間違いを受け入れられない。けれども初めて見聞きすることはすぐに覚える。パプリカの歌を歌詞の意味もわからずに全て音で覚え歌うのだ。

 私にもこんな時があったのだろうな、と下僕の一人はふと思う。ワガママの限りを尽くし、傍若無人にふるまい、機嫌のままに行動し、周囲を困らせ、苛立たせ、それでも許され、愛されていた時期が。お姫さまのように振舞っていた時が。そんな時を覚えていないとは、非常にもったいないことだと思う。世の中そんな思い通りにいかないのであれば、せめて幼い頃の楽しい記憶くらい残しておいてくれればいいのではないか。

 記憶から消えるのであれば、記録に残そう。たくさんの写真とビデオを撮った。それを家族で共有できるアプリにアップロードする。将来ニコちゃんもそれを見るだろうか。

 いつかあなたもお姫さまでなくなる。誰かをお姫さまにしなければならない日が来るかも知れない。そんな時に、もし少しでも苦しくなることがあった時に、少しでも、自分にもそんな時があったと。愛されていたと、思ってくれれば母は嬉しい。

 母も愛されていた、たぶん。