ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

私が宗教と相容れない理由、迎合する理由

蝉、鳴かないかと思ったら、鳴き始めました。

まだまだ暑い日が続きますね。いかがお過ごしでしょうか。気持ち的には夏も終わりに近づいてきました。夏もあともう少しですね。

私の実家は小さなお寺の檀家です。祖父が熱心な仏教徒であったため、毎月第二土曜日に檀家となっているお寺の住職さんに家に来てもらい、六畳と八畳と六畳の和室の襖を外して大きな一間にし、近所の人に開け放し、皆でお経を共に唱え、お坊さんに法話を聴かせて貰っていました。

物心がついた小さな頃は、大人と同じことをするのが物珍しく、一生懸命お経を唱え、訳がわからない話になると席を立ち、子供同士離れたところで遊んだりしていました。だんだん人の言いなりになるのが嫌になる頃、その会にも次第に参加しなくなりました。

先日、祖父の一周忌で、同じ住職さんの法話を聞くと、子供のころとは違って、話を聞くのが楽しいと思えるようになったことに気がつきました。正確には、もう少し前から楽しんでいたのですが、あらためて実感しました。物事の道理、本質、摂理の、答え合わせをすることが出来るのは、人生の楽しみです。

以前は、人の話を聞くことは、自分を否定されているようで苦痛でした。今は、相手が何を考えているのか、私と同じところはどこか、違うところはどこか、答え合わせをするようで、楽しく感じます。私にとって宗教は、ツールであり、全てではありません。私の思考を否定しない宗教や人やモノならば、私は好きです。