ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

大人と子供と本能と理性

人間は嘘をつく。

頻度や程度の差異はあれど、おそらく誰しも嘘をつく。2歳の子供でさえ嘘をつく。自分を守るために、もしくは誰かを守るために。

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https://mobile.twitter.com/_HappyBoy/status/1154405124678094848

てぃ先生ツイッターによると、2〜3歳くらいの子供は人のために嘘をつくことは出来ないけれど、6歳くらいになると、人を守るための嘘がつけるようになるそう。子供の嘘も成長の証。嘘を肯定的にとらえる姿勢が素敵だ。

ニコちゃんは、時々相手をいたわるような嘘をつく。まだ2歳だけど、本当は、すべて分かっているのかも知れない。基本的には性悪説だと思うけれど、性善説も少し信じている。我慢とワガママ。いじらしくて子供らしくてどちらも可愛い。

ニコちゃんは、基本的にはとてもいい子だ。私と一緒にいれれば得心する。疲れて相手ができなくても、一緒にテレビを見ているだけで満足してくれる。時々テレビの内容を話しかけてくれる。保育園にも別れの時に固まったりするけれど、泣くことなく行ってくれる。

その一方で、こだわりが強く、自己主張がしっかりできる。義父は会うたびに「ワガママだなぁ」と笑う。私はそれもニコちゃんの長所だと思っていたのだけど、協調性の面では少し心配になる。あとお腹が空いた時と、眠い時は手がつけられない。

晩ごはんの準備をしている私の足元で、この世の終わりのように泣きながらうずくまるニコちゃんを見て思う。あぁ、これは私だな。どんなにムチャクチャなことでも、泣いてテコでも動かなければ、それが通ると思っている。相手の状況を思いやらず、自分の欲求を通すことしか考えられない。自分の欲求が通らず悲しい。

そしてそれは、どんな人も持つ感情なのだと思う。母も、祖母も、私も。程度の差異はあれども。

一方で、それに応えることができる人もいる。自分の欲求をある程度押し殺して、相手の欲求を受け入れてあげることのできる人。適性や能力や経験の差異はあれど、それができる人のことを大人と呼ぶのかも知れない。もしくはその行動を。

「子供だと思う」と子供だと思っていた人から言われて面食らった。けれどもニコちゃんのどうしようもなく何をしても泣く姿を見てその言葉を理解した。私はたしかに子供だった。いや、今も子供かも知れない。どうにもならないことを、どうにかなると思っていた。相手に甘えていた。どうにかしようと思っていた。

一番強いのは、相手の言うことを聞かない人だと、何かで読んだような気がする。子供は強い。自分の非力さを、可愛さと泣くことで補っている。一方で本当はとても弱い。それなのに強いと勘違いをして、マウンティングを取る存在してはならない人もいる。

子育てをする中で、私の中にもそんな要素があることに気づいてショックを受けた。けれども、心の中で思うことと、実際に行動に移すことは大きな違いだ(と思いたい)。私は踏み止まり、彼らは超えてしまった。けれどもいつ超えてしまうか不安に思う時も確かにあった。いっぱいいっぱいの状況はなるべく作らない。何もしない時間を持つことに罪悪感を感じない。イライラすると「〜しなきゃ」という気持ちを捨て、子供の視点で一緒に遊ぶ。そういったことを心がけた。

痛みは最大のストレスだ。思わず我を忘れる。そんな時はネットで見たアンガーマネジメントの6秒を数えた。6秒たつと、気持ちがおさまる。冷静に対処できる。冷静に、いろいろな可能性を加味して対応することは、必要で重要で大切なことだ。それができないと時間がたってから後悔することになる。

嘘ばかりつく人の本音が見えると、ちり、と胸がざわつくことがある。それは私は直感だと思っているけれど、もしかするとただの勘違いかも知れない。小学生のころは人間が怖かった。何を考えているのか分からなくて、犬や猫を相手にする方が気がラクだった。私は動物だった。最近ようやく人間のようなものになれてきた気がする。この歳になって、ようやく人が考えていることがわかってきた気がする。

嘘、模倣。それらはとても自然で、人間を人間らしくするものかも知れない。そしてそれらは子供のうちから既にそなわっている機能なのだ。

けれども大人、すなわち理性は、知識や経験を通じてしか手に入らない気がする。つまり後天性のもの。自分で手に入れた、もしくは身に付けざるを得なかった世の中の摂理は、その人を大人びて見せる要因になりうる。

意識してニコちゃんにも教えようと試みるのだけど、必要にかられないと中々身に付かないものかも知れない。それは幸せなことかも知れないし、不幸せなことかも知れない。

子供であることも大切だ。自分の欲求に素直になることは、生きる活力になる。子供はパワーに満ち溢れている。それは自分のしたいことがある程度できて(厳密に言うとさせてもらえて)、全能感に包まれているからではないだろうか。それはとても幸せで、でも長くは続かなくて。でもその全能感が長く続けば続くほど、自己肯定感の高い人間になるのではないかと思う。そのようなわけで、ニコちゃんのワガママを、できる限り受け入れる。幸せな子になって欲しいと願う。幸せを求める子であって欲しいと願う。

そんなことを思った1日でした。