ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

「〜してあげる」という気持ち

お久しぶりです。モツ子です。

私は二歳児の母なんてものをモツ子のくせして偉そうにやらせて頂いているんですけど、子供に対してよく言ってしまうセリフが「はいはい、〜してあげる。」という言葉です。

ママが「〜する」のではなく、「〜してあげる」。これってすっごく恩着せがましい言葉だと思うのですが、つい出ちゃうんです。言ったあとに後悔するパターン。

「私はあなたのために、自分の気持ちを犠牲にして、あなたの益になる行動をしていますよ。だからあなたは私に感謝してください。」という意味が込められているような気がして。脅迫に近いような押し付けがまさ。

私は私の意思で、子供のために行動しているのだから、そこに見返りを求めてはいけないのだ。子供は私のために生きるのではない。子供を支配してはいけない。子供と私の立場は対等なのだ。

自分がされて嫌なことを、平然と自分の子供にしてしまう愚かさを呪う。子供は私の顔色をいつも伺う。私のやることを全て見ていて、何でも真似をする。いいことは真似をさせても、悪いことはなるべく見せたくない。

子供を保育園に送っていく道はとてもせまく、車が対向できない箇所がいくつもある。だから、私は対向車が来ると、比較的広い箇所で車を止めて、対向車が通り過ぎるのを待つ。

大半の車は片手をあげて、お礼の意思を示してくれるのだけれど、中には何もサインを出さずに通り過ぎる車も少なくない。今朝も、二台続けて何のお礼もなく、私は大人気なく憤慨してしまった。

「待っててあげたのに——。」そう思いながら、私は自分のキャパを超えて、親切に振る舞おうとしたことに気付く。心の中で毒づく自分の器の小ささに落ち込む。

私は、自分のキャパの範囲内で、小さな思いやりを振る舞うべきなのだ。見返りがないから怒るような、自分の器を超えた思いやりは、すべきではないのだ。怒ってしまって、結局相手を不幸にする。

あえて「〜してあげない」選択は、意地悪かも知れないけれど、時として自分を守り、相手を守る優しさになり得ることもあるのではないか。

事故を防ぐため、小さな軋轢をなくし、人間関係や事をスムーズに動かすため、必要最低限のマナーさえ尽くしたら、それ以上の心配りは大切な人や場所以外ではする必要はないのかも知れない。しないことが優しさになるのかも知れない。

自分を知り、相手を知り、自分を大きく見せようとしないこと、つまりは無理をしないことが、自分にとっても相手にとっても優しくあるということかと、私は思ったり思わなかったり。

「〜してあげる」という気持ちは大切なことかも知れないけれど、時に押し付けがましく、ありがた迷惑になる可能性もあるということを、頭に入れておくのも大切かも知れない。

何が相手にとって必要なことなのか、相手は何を言われたら、何をされたら嬉しいのか。想像力を働かせて、自分の言動を客観視して、自分の気持ちより相手の気持ちを優先できたら、円滑なコミュニケーションが取れるようになるだろうか。