ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

嘘にまみれて生活をする

嘘は良くない。正直なことは良いことだ。

…果たして、本当にそうなのだろうか。

世の中に、生活の中に嘘は溢れかえっている。小さな嘘から、大きな嘘まで。小説だって、ドラマだって、大抵は嘘だ。嘘だけど、心に響くことだって沢山ある。

何でも赤裸々に話すことが、必ずしも善とは限らない場合だってある。本当のことより、嘘のことの方が優しいことだって、少なくない。嘘に救われたことも、守られたことも、数知れずあるのだろう。

嘘をつく時とは、どんな時なのだろう。本当のことを話すのが、憚られる場合。自分を守りたい場合。相手を傷付けたくない場合。物事を円滑に進めたい場合。物事はすべて二面性を兼ね備えるので、一概に嘘がいいとも言えないけれど、嘘の方がいい場合だって、きっとある。

それは、きっと相手の立場に立って、相手のことを自分より優先できているなら許される、のかも知れない。相手を蔑ろにして、傷付けるのであれば、嘘であろうと、本当であろうと、許されない、のかも知れない。

私は、相手を優先できていただろうか。きっと、優先できていなかった。自分本位だった。

相手の立場を、心情を、環境を、生い立ちを、思考を、信条を、慮る。自分の発言で、相手がどんな気持ちになるか、想像する。その内容は、嘘でも本当でも、正直なところどちらでも構わないのだ。相手が不快になりさえしなければ。

誠実とは、自分の気持ちに正直であることではない。相手の気持ちに寄り添って、相手にとってどんな自分でいられるか、ということだ。自分の発言が、自分の気持ちに合致しているかどうかなんて、瑣末なことなのだ。自分の発言が、相手をどんな気持ちにするかに着目すべきなのだ。私にはそれが欠けている。

それさえ出来れば、私の発言が嘘か本当かなんてことはどうでも良くなって、信頼に値する人間になれる気がする。陽だまりの姉のように、自然と周りに人が集まるような、穏やかな人間になれる気がする。人の気持ちに寄り添うことができる陽だまりの姉は、本当に尊い

私もいつか、誰かの太陽のような存在に、人を元気付けたり、勇気付けたり出来るような存在に、なれるだろうか。道は果てしなく遠く険しいけれど、足りないものだらけだけど、エベレスト級に高い目標に向かって、千里の道も一歩から、日々前進できればと思う。

最近、夫に対して、私の夫で幸せね、と尊大な心を持ちかけてしまったのだけど、調子に乗れば乗るほど、盛大に躓く。大きな失敗をする。私のような女を妻でいさせてくれてありがとう、の気持ちを忘れずに、謙虚に、実直に(タイトルとの矛盾!)、向上心を持って、家事に育児に仕事に取り組まねば、と思い直す。日々精進。七転び八起き。

良いことだけを見つめて、悪いことは忘れる。忘れられないほどの悪いことは、教訓にする。同じ轍を踏まないよう、人を傷付けないよう。人に優しくすることは、自分に優しくすること。全ては自分のため。

何かを得ることは、同時に何かを失うこと。失ったものにばかり気を取られると、人生損する気がする。得たものだって、計り知れないくらい大きいのだ。

時間は、尊い。時間は、可能性。二度と戻らない。けれども確実にあったもの。過ごしたもの。誇りに思って、胸を張れる私でいられるよう、考え方を改めたい。

私は私が思う以上にくだらなくて滑稽で小さい存在で、私が思う以上に大切で誇り高くて愛されるべき存在、なのかも知れない。地に足をつけて、大切にしてくれる人を見極めて、選んで、選び続けて共に歩んで行けたら。