ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

ニコちゃん、パパっ子になる

2歳を過ぎると子供が「パパ大好き」と言ってくれるようになった、とお笑い芸人が言っていたのだけど、あれは本当だった。

ニコちゃんはパパが大好き過ぎる。パパが帰って来るとパパから離れない。9時を過ぎ、「そろそろ寝に行こうか。」とニコちゃんに言うと、「いらん!パパと寝る。」だとう…?ママとお風呂に入って、ママは歯も磨いて、寝る準備万端なのに!2歳になるまでは、こんなことはあり得なかった。正確には、空前絶後の10連休の後までは。

上皇天皇陛下に即位をされた令和元年、主婦泣かせの10連休の中盤だった。私は泣いてないけれど。泣かないように手を抜きまくった。何も予定を入れなかった。

夫はニコちゃんとこれでもかというくらい接した。サボりまくりのママの代わりに、夫がママのようになっていた。お陰でニコちゃんはママと言うよりパパと言うことが増え、私はニコちゃんに名前で呼び捨てされるようになった。

昨日なんて、パパが晩ご飯を食べる間、ママが抱っこしようとすると、「パパ抱っこ!」と泣くのだ。なるほど、夫はずっと今までニコちゃんに泣かれて、こんな気持ちだったのか。夫の気持ちが分かった。夫は私の気持ちが分かったらしく、終始笑顔だった。

人は優越感を感じる生き物で、それはどうしようもない。けれども自身の優越感のために人を傷付けるのは、如何なものか。

松っちゃんの「不良品」発言へのバッシングの背景にはそんな思いがあるのではないかと邪推する。犯人に対して、俺はお前とは違う、犯罪を犯すなんて頭のオカシイ奴がすることだから、そういう奴はどうしようもない、○してしまえ、そんな思いがあるのではないか、と思ってしまう。半分同意で半分批判したくなる。

人を○すような人は、○されてしまえばいい、その考えには概ね同意する。改心なんてしないんじゃないか、とも思う。けれども自分が犯罪者にならない可能性は、ゼロではないのだ。故意にしろ、過失にしろ、人を傷付けたり、人の命を奪う可能性だって、多かれ少なかれあるのだ。聖人君子なんていない。

そうならないために、犯罪を犯した人を自分より下に見て、自分を戒めるのは良いことだと思うけど、矛盾しているようだけど、その考えでは罪の大小に関わらず一度そちら側に行ってしまうと、戻って来れない。そしてそちら側にいる人を蔑視することは、そちら側に近い人たちを敵に回すことになる。

クリーンすぎて笑いを取りにくくなった、と松っちゃんは言う。その通りだな、と私は思う。今までは、少数派の意見は黙殺されていた。それが今は少数派が力を持つようになった。それが今までと同じことにならなければいいな、と思う。力を持つ人が代わっただけで、やっていることが同じなら意味ないでしょ、と。

全ての人が生きやすい世の中になったらいいな、と思う。その世の中が、どんな世の中なのかは分からないけれど。とりあえず私は自分の中の優越感や劣等感を認知して、飼い慣らして、人にぶつけないよう、嫌な思いをさせないよう気を付けたい。そして人が褒められる行為をしなくても、許せる器を持ちたい、と思う。やり過ぎの人は軽蔑するけど。多少は仕方ない、人間だもの。