ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

正しい人間なんていない

正しくあろうとする人間、あるいは自分は正しいと信じる人間は、いるかも知れないが。

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私の実家には総監督がいる。何でも口出しをしたい、自分が正しいと信じる人物が。もう後期高齢者となる境の年齢をとうに過ぎて、本人も「本来ならば世話をされる方だ」と言う通り、口出ししないでいてくれると助かるのだが、如何せんピンピンと元気溌剌なのだ。

元気溌剌で介護の必要が無いのは大変有り難いことなのだが、元気であるが故に、恐らく「まだまだ自分は出来る」と思っているのだろう。寧ろ、「自分がやらねば」と思っているのかも知れない。若しくは、「自分がやることは人に喜ばれる」と、自信たっぷりなのだ。

確かに、話好きで、何か持って来てくれたり、世話になったりした来訪者には様々な手土産を持たせ、彼女がお礼を言われる機会は多い。年齢よりも若く見え、足腰もシャンとして、キビキビ動き、曾孫の世話も喜んでしてくれる。感謝の気持ちは有り余っている。

それでも、反発する心が出てくるのは、また、どうしようもなく何かに当たり散らしたくなる気持ちになるのは、彼女が「自分は正しい」と押し付けてくるからなのだと思う。正しくないことまで、正しいと押し付けてくる。私は自分の意思を常々押さえ付け続けなければいけないのが、どうにも耐え難く苦痛だ。

私はどうやら、自分が正しいと信じている人が、そして人の意見を受け入れられない人が、特に苦手なのだと思う。正しいの基準なんて人それぞれで、時代によっても環境や状況によっても変わる。それなのに、自分が正しいと思うことを、相手にもそう思わせようとするのは、傲慢ではないか。少なくとも、謙虚ではないと思う。

とは言え、私のこの価値観は、間違っているところも多々あると思う。人によっては正しいと言って貰えるかも知れないが、総監督の約三分の一程しか生きていない私には、見えていないことも、数え切れない位ある筈だ。

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随分前に人から薦めて貰った、東野圭吾先生の『さまよう刃』を読んだ。この「刃」とは、様々な意味が込められていると思われるが、「正義の刃」のことでもあると思われる。ある登場人物が、自分のしていることは、若しくは自分達のしていることは、本当に正しいのか、と自分に、世間に、そして読者に語りかける。

この本は2004年に少年犯罪について書かれたものだが、今の日本に当て嵌まるところもあると思う。自分が正しいと信じていることは、本当に正しいのか。誰かが苦しんだり傷付いたりすることになっていないか。傲慢でないか。これで本当にいいのか。

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ただの祖母への愚痴を、社会問題に絡めて本人の目に入らないところで書き殴る。この行為が、正しいかどうかと問われると、恐らく正しくないと思われる。けれど、それによって私は心がスッキリして、元気になって、祖母に優しくなれる(かも知れない)。正しいか正しくないか、なんて基準は、全く役に立たない、のかも知れない。私は貧しい考えを持つ人間だと思う。