ニコちゃん備忘録

消化しきれない、もしくは覚えておきたいアレやコレたち

なんのために

 こんばんは。夜更かし中の悪い妊婦です。今日は夜ご飯を買いにスーパーに行く以外、家から出ませんでした。お昼は宅配ピザを夫が持ち帰りで取りに行ってくれました。お昼寝を3時間くらいしました。晩ご飯はラーメンでした。せめてもの償いで野菜炒めを入れました。減カロリー食を病院から言い渡されているのに、この体たらく。最高です。ダイエットは明日から。

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 私、普段連絡を取り合う友人がいません。たまに複数人で会って会話したり集まったりする友人はいるのですが、個別に連絡を密に取ったり、2人でランチやお茶したりする友人はいません。姉やいとことたまに連絡を取ったり、それくらいです。人として欠陥している気がしないでもないですが、それが私なのだから仕方がないです。

 娘や姪が、幼いながらにナチュラルにマウンティングをしたり、自分の無罪や有能さを主張したりするのを見ながら、その気持ち、分かる〜!と共感したりしています。自分の中の醜いと思っていた気持ちを、幼い子供たちが何も思わずに素直に表現するのを、不思議な気持ちで見ています。

 私のコミュニケーションは幼稚で、他者に対して、同調するか、流されるかのどちらかしか出来ません。異なる意見をぶつけられると、どうしていいのか分からなくてなったり、相手の不機嫌を、必要以上に気にしてしまったりします。大人のコミュニケーションが難しいです。大人のコミュニケーションって、どんなんですか?

 基本的に、「私ってイケイケだ」と、実力を伴わない自信を身につけて優越感に浸る時と、「私って本当にダメダメだ」と、自分の全てを否定したくなる時の両極端な思考しか持ち合わせていません。平穏でフラットな思考が出来ず、何を言われてもマイナスに捉えてしまうことがあります。思考の癖を自覚して直さないと、と思うのですが、ままなりません。

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 『子供にかける言葉は、誰のためのものなのか?』と、手書きのイラストで子育ての日常を綴るインスタグラマーさんが問うてらっしゃいました。『子供を信じるって、どうしたらいいですか?』という質問に対して、『子供に対する言葉かけが、誰のためのものなのかをら自覚するだけで変わる』と答えてらっしゃって。(気になる方はあぴママさんのインスタやブログをご覧下さい。)

 ニコちゃんにかける言葉は、ほんとうにニコちゃんのためのものなのか、自分のためにニコちゃんを思い通りにしようとしていないか。子育てはニコちゃんのためなのか、自分のためなのか、考えると、分からなくなってきます。

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 仕事に関しても、褒められるためにしているのか、お客様のためにしているのか、母や姉に認められたいがためだけにしていないか、省みてみると、純粋にお客様のために、ってしていること(お客様が美しくなるように)は、現時点でほぼ無いような気がして、猛省しました。お客様が気持ちよくなってくださるように、ということは気をつけていたけれど、それよりも本当の狙い(髪を美しく、健康に)のために行動できていたことって、果たしてあっただろうか、と…。

 頑張るところが、いつもズレている気がします。物事をありのままに捉えて、芯でキチンと返せるように余計なことは取り除いて、ちゃんと向き合えるように色々試行錯誤して、よりよいものに、出来るように頑張ります。自分が、そして周りが、楽しくいられるように。周りを楽しくさせることが出来ているのか、甚だ怪しいところですが。少しでもマシに出来るよう、頑張ります。

見猿聞か猿言わ猿

 夜明け前から降っていた雨は小雨になって、生暖かい気候をニコちゃんが住んでいる地域にもたらしています。おはようございます。花粉症です。朝起きた瞬間からクシャミと鼻水が止まりません。目が痒い。長らく花粉症を否定してきたけれど、もう認めた方が楽なレベルになりました。

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 私的育児の中で一番大切なのは、実はこれなんじゃないかと思う。見猿聞か猿言わ猿。

 スーパーで見ず知らずのおじいさんから、「母親なんだからポテトサラダくらい作ったらどうだ。」と言われたことが、結構前にちょっとした社会現象になっていた。うっせぇうっせぇうっせぇわ。あなたが思うより健康です。優しい母親はそんな風に毒づく訳でもなく、でも消化しきれない思いをツイートすると、バズった。おじいさん、余計なお世話だ。

 言いたいことは分かる。言いたくなる気持ちも分かる。けれども核家族が一般的な世の中で、母親は思う以上にいっぱいいっぱいで育児をしているんだと思う。自分が母親になって、自分の無能さに驚いた。思っていた以上に能力が低い。その中で何とか子供を生かさないといけないプレッシャー。伝えられないもどかしさ。

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 私の実家のザ・昭和の祖母は、良いことも悪いことも、全部言ってくる。赤ちゃんがもう一人いる感じ。自分の中のことが、全部正しいと思っている。それを押し付けてくる。受け入れられないと拗ねる。

 けれども祖母は、高齢の割にはまだ柔軟な方だと思う。新しいものも好きだ。ひ孫の世話も、率先してやってくれる。私たちのご飯も作ってくれる。スーパー祖母だ。

 そんな祖母だけど、こちらの余裕がないと、私は中々意見を聞き入れられない。仕方がない。いっぱいいっぱいなんだ。ゆっくりお茶をする時間も無かったんだ。と、しょうもない言い訳。祖母を100%大切に出来なくてごめんなさい。そんなしょぼい自分の姿、何も見えない〜。聞こえない〜。

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 育児本やインスタグラムにも、素晴らしい指南書が溢れている。そうした方がいいのは分かる。でも時間が無い。理想は分かる。けれども現実的ではない。私には不可能だ。

 そんなアレやコレを、見猿聞か猿言わ猿。目を瞑って、耳を塞いで、見えないフリ、聞こえないフリ。

 子供が自分で着替えられるようになった方がいいのは分かる。けれども時間が無いから無理やり着替えさせる。鬼の電話を使わない方がいいのは分かる。けれども言うことをどうしても聞かなければ最終手段。母親と四六時中一緒の方がいいのは分かる。けれども私の母性は完璧ではないので保育園、YouTube、テレビゲーム、いとこたち、わおっち。目が悪くなるのは分かる。けれどもずっと端末を使わない遊びを提案し続けるのは無理だ〜。無理ムリ。

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 適度に手を抜いて、適度に力を入れて、自分のベストを模索しながら楽しめたらそれでいいと思う。全く頑張らないのは問題だけど、頑張りすぎるのも実は問題だ。ストレスを溜め込みすぎないように、程よく自分を許してあげたらいいと思う。知らんけど。

 兎にも角にも、大切なポイントや力を入れるところは人それぞれなので、あまり他人事に口を出しすぎたら良くないのだと思う。あまり人のことを考えられない性格なので、気を付けたいと思う。あれ?この間言っていることと矛盾している。

 人の話は真に受けすぎずに、三割から五割くらいで聞いとけばいいって話ですね。うんうん。適当適当。

パパの出張

 夫が出張でいない。火曜の夜から木曜の夜まで、3日間、ニコちゃんはパパのいない夜を過ごす。毎回、出張の度に夫とテレビ電話をする。昨日も1時間半、夫とニコちゃんと3人でテレビ電話で話した。8時過ぎから10時過ぎまで、途中ママのスマホの充電が切れたりしながらも話した。

 ニコちゃんは一昨日12時前まで起きていて、昨日はとても眠たそうだったので、早く寝るよう促す。けれども、いつまでもパパと電話をしたがって、電話越しにダルマさんの絵本を読んでもらう。2冊目も読んでもらおうとする。変な声を出して電話を切ることを拒むニコちゃんを尻目に、夫におやすみと告げて電話を切ると、途端に泣き出す。

 眠気で、パパに会いたい気持ちが爆発したのだと思う。自分が入院した時のニコちゃんの心情と重なって見えて、ニコちゃんの悲しさに感情移入して貰い泣きしながらニコちゃんを抱きしめて眠る。ニコちゃんは泣きながら寝た。ニコちゃんと一緒にいる私ですら、こんなにも寂しいのに、ニコちゃんと一緒にいない夫は、もっと寂しいだろうな、と想像する。それとも久しぶりの一人時間を、羽を伸ばして満喫しているだろうか。

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 朝起きると、いつもより抱っこを求めて泣いていた。保育園でお別れする時、クネクネして何か言いたげだった。パパの不在に、ニコちゃんも何か感じているのかも知れない。あと2日、こんな日が続く。ママが妊娠中で不安定になっているところに、パパの出張はダメージが大きいのか。なるべく優しく出来るよう気をつけることにする。

初めてのお泊まり

 あかりをつけましょぼんぼりに、の歌を、最近ニコちゃんがよく歌う。保育園で歌うからだと思われる。今日もYouTubeで歌の動画を再生して、一緒に歌っていた。その様子が、とても可愛い。床に座って、一生懸命YouTubeをテレビで見ながら、お利口さんに真面目な顔をして歌う。私は床に寝転がりながら、下から右斜め45度のニコちゃんの陶器みたいにスベスベの白い肌に、見惚れる。手前味噌みたいだけど、親バカだけど、本当に美少女だなぁ、と思う。

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 先日、姉と従姉妹とひな祭りパーティーをした。夫と手巻き寿司の材料を買って、姉の家にお邪魔した。前の日の晩に、実家で晩ご飯を食べてお風呂に入った後、ニコちゃんは姉の家にお邪魔して、泊まらせてもらった。3つ上の姪っ子と、同い年の姪っ子をママより好きらしく、少し考えたけれどノリノリで泊まりに行ってくれた。下の子が産まれる時の予行練習としてニコちゃんが行きたがるなら、と行かせた。夫が帰って来てニコちゃんが居ない寂しさに号泣した。

 ニコちゃんは「ママ」と一言も言わずに、2人の姪と一緒に並んで寝てくれたそう。姉からは3人が1冊の絵本を一緒に読んでいる動画が送られて来た。6歳の姪が、彼女の妹とニコちゃんに絵本を読み聞かせている姿は、とても微笑ましく、ニコちゃんの成長を感じて嬉しかった。それと同時に寂しくて切なかった。

 スマホを何度も確認した。ニコちゃんが「やっぱりママがいい。」と泣いて帰って来るのを正直待った。けれども連絡は遅くまで無くて、夫にお菓子を分けてもらって泣き止んで諦めた。ニコちゃんの成長を喜びたいのに寂しさが勝つ自分が恥ずかしい。ニコちゃんが居なくて、私はニコちゃんのことが大好きなのだと改めて思い知った。

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 久しぶりに会ったニコちゃんは、知らないおじさんとおばさんを見るような目をして、一瞬私達を見て、すぐに目を逸らした。その後子ども同士のトラブルで泣いていても、「抱っこしたろ。」と言っても、抱っこを拒否された。「3つ上の姪っ子ちゃんがいい。」と、触らしてもくれないのがショックだった。けれども「姪っ子のところまで抱っこして。」と言ってくれたので久しぶりに抱っこ出来た。嬉しかった。

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 姉はナチュラルに人に優しくできる。入院する私とニコちゃんを気遣って、ニコちゃんを預かることを自ら申し出てくれる。練習までしてくれる。無理をせずに、バランスよく人に尽くすことが出来る。私は自分の限度を理解せずに、いつも自滅するので、実際に行動できる、そしてやり遂げる姉が凄いと思う。たくさん助けられている。

 それなのに、姉に見られることはないだろうとタカを括って、全世界に向けて姉への愚痴を垂れ流した私はとんでもない愚妹だ。同じことは母と祖母に対しても言える。ごめんなさい。面と向かって言えない言葉を、こっそり吐き出して楽になる。感謝も好意も尊敬も、きちんと伝えたことは無いくせに。

 いいことだけ言っていたい。傷つけるようなことは言いたくない。けれどマイナスの感情も私で、プラスのことだけ表現していても胡散臭い。けれどディスられるばかりでは気が滅入る。客観的に自分を俯瞰して人を傷つけることのない少し面白いことを言うのって難しい。自分に向けられるベクトルが無いと興味を持てなくて、相手主体で考えることが少ない幼稚な人間性が私で、それをバレないように取り繕うのに必死。

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 自分を良く見せようするのは止めようと思うけれどオシャレはしないと怒られる。作り笑いは良くないと思いながらも、真顔でボーッとしているとニコちゃんから「何変な顔してんの。」と不安がられる。人間らしく、浮かないように、周りと合わせるだけで必死なのに、周りより優れた人間になるだなんて無謀な話。「普通」にするのが一番難しい。思うように振る舞えたらいいのに。自分勝手でい続けられたらいいのに。

 でも同じくらいニコちゃんに幸せでいて欲しい気持ちも、夫や姉や母や祖母に思うままに振る舞って欲しい気持ちもある。私が我慢すれば済む話だ、と思うのだけれど、私の我慢は長く続かなくて困る。ニコちゃんのワガママと、私のワガママと、バランスよく調整しながら叶えていきたい。

 ニコちゃんは優しくて強い子で、ママはいつも救われて助けられてて感謝している。メンタルも意志も弱くて泣いてばかりでごめんね。ニコちゃんが安心して甘えられる強いママになれるよう、頑張るね。

姉は全然考えない

 私の姉は物事を深く考えない。大勢の人がそうだと思うのだけれど、人のことより、自分のことを自然に優先する。私に無いものを持つ姉が羨ましい。同時に時々腹立たしい。

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 私は自分のことを優先する時に、何故か罪悪感を持つ。夫や子供が食べていないのに、私だけ食べてもいいだろうか、とか、自分のものにお金をかけてはいけない、とか。けれどもそんな罪悪感は、日常を頑張る糧になるもので、持たなくてはいけないものなのだと最近は意識して自分を大切にするようにしている。

 姉は子供のころから自分のオムライスに入ったグリーンピースを私の皿に平然と入れ、自分の方が近い扉を遠い私に閉めろと命令する人だった。上のきょうだいって大体そうだと夫には言われるけど、私が上の立場だったら、もっと下に優しくするのに、と密かに思っていた。実際上の立場になっていないので、口ばっかりだけど。

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 髪を染めていると、時計が見たいからと平然と頭を振る姉。染料が、付いてはいけないところに付く。「何すんの。」と抗議しても、「時間が気になったから。」と悪びれもせずに言う。相手のことよりも、自分のことを無意識に優先してしまう人なんだろう。

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 けれども、姉のことを優しい人だと思う。祖父や祖母のお葬式では自然に涙を流して、友達のために自然に何かをしてあげて、家族の誕生日は忘れない。私が出来ないことを、平然とやってのける姉を尊敬している。その一方で、コンプレックスと憤りを抱える。

 夫は、私のことを優しいと言ってくれる。慰めかも知れないけれど、とても嬉しい。足りないものだらけの私だけど、私以外から見ると、足りるものも、もしかしたらあるのかも知れない。足りないものに打ちのめされてばかりなので、一緒にいる人には足りるものを教えてもらえると嬉しい。

 そんな甘えたことを言って怒られるかも知れないけれど、甘えることも大事。と言いながら、中々夫や子供には甘えさせてあげられないけれど。沢山たくさん甘えさせてあげよう。家にいる時くらい甘えたらいいよ。外でしっかり頑張ってね。

子供が怖かった話

 こんにちは。まだ二月なのに、痛いくらいの強い日差しと春のような陽気を、ウッドデッキで一人こっそり日光浴をしながら満喫しています。目隠しのフェンスはあるけれど、お隣さんの二階からとか見えそう。

 どうも、変な人です。

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 私が変なのは昔から友人らに言われて来たのですが、私のことを変じゃないと言う夫も変な人なんじゃないかと思います。いや、夫から頭おかしいとは言われるんですけど。じゃあ、夫はまとも?いや、やっぱり私と一緒にいれるのは変わってるような気がします。

 とにもかくにも、有難いことに嫁にもらって頂け、一人の子宝(五月には二人になる予定)にも恵まれたのですが、実は子供を作ることが怖かったです。

 理由は、二つありました。経済的な不安と、精神的な不安(どちらかと言うと精神面での心配が大きかったです)。自分で自分を過小評価していて(実際至らぬ点が多々多々あるのですが)、こんな私に子供が育てられるのか、子供を幸せにできるのか、子供に好いてもらえるのか、不安でいっぱいでした。

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 小学校の時に人生設計をさせられ、その時には母親の影響なのか、日本の社会科教育の賜物なのか、仕事をすること、結婚すること、子供を産むこと、が25歳で全て達成予定でした。

 (実際に結婚したのは26歳、子供を産んだのは28歳、仕事には恵まれず、職を転々としていました。当たり前とか普通のことって、案外難しい。)

 自分の意思なのか、他の人や組織からのマインドコントロールなのか、とにかく結婚と子供を産むことに憧れていたのは事実です。けれども、実際に産める状態になると、途端に怖気づきました。

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 今だから分かるのですが、私の精神年齢は3歳児のそれと同じくらいです。ニコちゃんが自分を見て欲しいとまとわりつく姿が、私の内心と重なります。自分で自分を褒めてあげることが出来なくて、承認してもらうことを常に求めて待っている、恥ずかしながらそれが私です。そんな私が、大人を演じて、立派に子育てをやり遂げられるのか。

 けれども、同時に、夫の遺伝子を残したい、夫との子供を育てたい思いも強く、妊活に踏み切りました。幸いにも身体的に問題は無く、望むとすぐにニコちゃんがお腹にやって来てくれました。

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 吹けば消えてしまいそうな、お腹の中の小さな命を守る責務に駆り立てられ、ニコちゃんを妊娠中は四六時中気を張っていました。安定期に入るまでの妊娠初期の化学流産に怯え、臍の緒が首に巻きついて亡くなった話に怯え、マタニティライフは手放しに楽しいとは言えませんでした。

 ニコちゃんが産まれた時も、会えた喜びよりも、この世に送り出せた安心感の方が大きく、普段は泣き虫なのに涙も出ない自分に落胆しました。けれども今思えば、必要以上に責任を感じすぎていただけだろうと思います。ついこの間の母親教室で、産んだ後は放心する母親が多いと聞いて安心しました。

 ニコちゃんを触る前は石鹸とアルコールで徹底的に除菌をして、そのせいで皮膚科に通わなければならないほどの酷い手荒れになりました。母乳が少ないのではないかとおっぱい教室に行き、友達を作ってあげなければと地域の子育て支援やコミュニティや公園に通い、初対面の人にも愛想よく話しかけ、又は話しかけられ、自分の向き不向きも顧みずに、ネットや本や友達らの話を鵜呑みにして、訳も分からず頑張りました。

 時には何もする気力が起きなくて、涙が止まらなくて、子供にいつも優しく出来なくて、そんな自分が嫌で。孤独な訳がないのに、孤独を感じる時もありました。私じゃなかったら、もっといい育児が出来ていただろうな、と、ニコちゃんに対して申し訳なく思った日も少なくありませんでした。

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 いつから育児が楽しくなったのか、手放しでニコちゃんを好きだと思えるようになったのか、記憶は定かではないのですが、ニコちゃんが話せるようになって、「好き」と言葉と態度で伝えてくれるようになったことは大きいかなと思います。

 駆け引きも打算も恐らくまだ知らない小さな子が、覚えたての「好き」や「愛してる」を、惜しげもなく言葉のシャワーのように私に浴びさせてくれて、いつしか私もニコちゃんは私のことを好きなんだと信じられるようになりました。

 極め付けは「ママに会うために生まれて来た」という言葉。この子は本当に私のことが大好きなんだな、命をかけて私を愛してくれているんだな、と自然と思えました。以前感じていた、逃げたくても逃げられないずっしりと重い責任感ではなく、自ら望んで「応えたい」と思うようになりました。

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 今も妊娠中ですが、ニコちゃんの時ほど不安になったり、焦ったりする事はなくて、それはニコちゃんを育てさせてもらったお陰だなぁと思うのです。まだ無事に産まれていないから、どうなるかは分からないけれど、(恐らく)姉妹仲良く育ってくれたらなぁ、と望むばかりです。

 子供は怖くなくなりました。ニコちゃんが至らぬ私でも包み込んで愛してくれたお陰です。今度は私がニコちゃんとお腹の子を包み込んで愛してあげれたらな、と思います。

 昨日は初めて(?)ぐずらずにママがお風呂に入ってなくてもパパと二人だけで寝に行けました。パチパチパチ。パパと泡風呂をしたお陰かな。めちゃくちゃ楽しかったようです。今度は泡風呂用の入浴剤を買って置いておこう。それとも、ママとしまじろうの工作の鳥を作った効果なのかな。たくさん遊んだお陰なのか、嫌がることなく保育園に行ってくれて、助かった。楽しい思い出を沢山作れたらいいな。

寝ることよりも好きなこと

 おはようございます。夫と子供が出て、短い一人の時間。かかりつけの産婦人科クリニックに電話をして無事後期母親教室の予約が取れました。明日。ギリギリの行動…。二人目だし、と思って、色んなことを一人目に比べてしてないです。ごめんね。

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 今朝、ニコちゃんを起こす時に、(ニコちゃんは夜型で、朝中々起きないのですが、)「抱っこしたげるよ。」と言うと、両手を広げて、私の頭をギュッと抱きしめてくれる。可愛い。抱きかかえると、私の胴体にギュッとしがみ付く。可愛い。

 睡眠欲って、人間の三大欲求だけど、くっついていたい欲も、三大欲求に負けないくらい強いのかも知れない。もしくはママのことが大好きすぎるのかも知れない。可愛い。

 人生でこんなにも人に好かれたことは、物心ついたころから生まれて初めてレベルなので(って夫に言うと怒られそうですが)、生きてて良かったなぁ、と思います。

 ニコちゃんに「ママに会うために生まれて来た!」と言われたのが嬉しすぎて、こないだ夜寝る前に「ニコちゃん何するために生まれてきたん?」と聞いてしまいました。最初はキョトンとしてたけど、「誰に会うために生まれてきたん?」と聞くと、「ママに会うため!」と嬉しそうに答えてくれました。誘導尋問です。

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 「レストランの開会式」というタイトルのブログ記事を読みました。(はてなブログさんの人気ブロガーさんのブログ記事です。)そうか、私が求めていたのはそういうものなんだ、とストンと腑に落ちる気分になりました。面白かったです。ご興味あれば、是非に。では。